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第14回公判傍聴記

100%確実でなくとも価値はある

6月1日の第14回公判は、前々日に続き都司嘉宣・元東大准教授が証人だった。反対尋問を担当した岸秀光弁護士は、歴史地震研究の「不確かさ」を際立たせようとした。それに対して都司氏は、100%確実ではない、ぼんやりした部分も残る古文書から、地震についての情報を引き出していく学問の進め方を説明。「1611年、1677年、1896年の3回、三陸沖から房総沖にかけての日本海溝沿いに津波地震が起きた」と長期評価が判断した理由を、前回に引き続いて補強していった[1]

◯悩ましかった「宮古の僧が聞いた音」

都司氏は、1611年の大津波の原因を「現在は津波地震だと考えている」と証言したが、正断層地震や海底地すべりが引き起こしたと考えた時期もあったと述べた。どれが原因なのか、都司氏を悩ませたのは、『宮古由来記』に書かれた常安寺(岩手県宮古市)の僧の行動だったらしい。

1611年10月28日午後2時ごろ、常安寺の和尚は、法事のため寺から約1キロ離れた家にいたが、海の沖の方から鳴動音が4、5度聞こえ、異常を感じてあわてて寺に引き返した。ここで大津波に襲われ、過去帳を取り出すまもなく高所に逃げてようやく助かった[2]。この時の津波で宮古の中心市街はほとんど壊滅した。『宮古由来記』によると、宮古では民家1100戸のうち残ったもの6軒、水死110人とされている。

「音がしたというのは、正断層型の昭和三陸地震(1933)の時にも報告されていて、太平洋プレートが日本海溝付近でポキンと折れて生ずる正断層型地震の特徴」と証言した。

一方で、1611年が本当に正断層型の地震であれば、揺れによる被害も古文書に残されているはずだ。「ところが、陸上の被害に注目しながら、もう一回、多くの文献を読み直して見たが、陸上での被害が全くない」。これは津波地震の特徴である。

1998年にパプアニューギニアで海底地すべりが大津波を引き起こし、このときも「海で大きな音がした」という証言があったことから、地すべり説も考えたが[3]、そうすると津波が明治三陸津波より広範囲を襲ったことと矛盾する。

そこで、津波地震がもっとも可能性が高いとの結論が導かれたという。

「いろんなデータがはいってくるごとに自然科学の研究者は考えを改めることはある。変化しなきゃおかしい」とも述べた。

◯「精度が悪い=情報ゼロ」ではない

機械でしか観測できないような小さな地震まで含めると津波地震が福島沖を含む日本海溝沿いにずらりと並んでいることを示した渡邊偉夫氏の論文(2003)[4]についても、岸氏は都司氏に質問した。

岸「地震の起きている場所が、日本海溝より陸地に寄っているように見える」

都司「まだ全国に地震計が数台しかなかった明治時代の地震観測記録も含まれており、位置の精度が悪いものも入っている」

岸氏「なぜ精度が悪い論文を(法廷に)出してきたのですか」

この岸氏の質問に、都司氏は猛然と食ってかかった。

「まったく情報ゼロというわけではない」

「ぼんやりではあるが、一定の情報が引き出せる」

「あいまいさが含まれていれば全部消しちゃえ、とはやらない」

その迫力に負けて、岸弁護士は話題を切り替えたように見えた。

理想的な観測機器が使えず、精度が高い記録が得られない状況でも、その限られた手段を用いてしぶとく自然の姿の手がかりを捕まえようとするのが、最先端の科学者の「営み」だ。正解の固まった学校理科を習ってきた岸弁護士(法学部出身)には、そんな科学者の生態を理解するのは難しかったのかもしれない。

[1] 都司嘉宣「歴史上に発生した津波地震」月刊地球 1994 年2月

[2] 都司嘉宣「慶長16年(1611)三陸沖地震津波の発生メカニズムの考察」歴史地震 第28号(2013)

http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_28/HE28_168_168_Tsuji.pdf

[3] 都司嘉宣「慶長16年(1611)三陸津波の特異性」月刊地球 2003年5月

[4] 渡邊偉夫「日本近海における津波地震および逆津波地震の分布(序)」歴史地震 第19号

http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/24-Watanabe.H.pdf

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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