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6月30日報告集会

2017年6月30日、東京は弱い雨が続いていた。「犠牲になった方の涙雨だ」。佐藤和良・刑事訴訟支援団長は、そう話していた。東電刑事裁判の初公判には、54席分の傍聴席のために700人以上が全国から集まり、午前7時半から傘を手に抽選の列に並んだ。

高い倍率を越えて法廷にたどり着いても、民事裁判とは全くレベルの異なる厳重なチェック態勢が待ち受けていた。手荷物は全て預けさせられ、一人ひとり、警備員が全身に触れて、危険なものを持ち込んでいないか確かめた。「女性警備員にワンピースの裾から手を入れられてびっくりした」「Tシャツをめくられた」という傍聴者もいた。

 

公判は午前10時から昼休みを挟んで午後5時前まで続いた。その後、参議院議員会館で開かれた集会で、傍聴した方々は初公判の様子を以下のように話してくれた。ご紹介する。

 

佐藤団長のあいさつ

1万4千人の告訴・告発人が結集して、その人達の力が集ってこそ、きょうの強制起訴の初公判に身を結んだ。ようやく、第一歩を踏み出した。

法廷内の被告3人、武黒さんは、「何の指導力も経営的な責任もないんです」、そう言っていた。しかし、検察官役の弁護士から、いかに指導力を発揮してやっていたか社内メールが朗読されてしまった。実に多くのメールが出てきた。逃げ切ることは不可能ではないかと思わせる内容だった。武藤さんも一杯証拠がでてきた。武藤さんの顔色をずっとうかがっていたが、最初は余裕があるような顔をしていたが、メールが次々紹介されると、相当、部が悪そうな顔色に変わった。

 

人見やよいさん

まったく聞こえない、蚊の鳴くような勝俣氏の声。何をいっているかわからなかった。東電側から出してくる証拠はしょぼいものばかり。指定弁護士側の厚い証拠にくらべ、身内の証言ばかり集めていた。自分たちは予見不可能で、対策も難しくて、義務もなくて、防げなかったと。きょう一日聞いていただけで、私は勝ったなと思いました。これは負けるわけがない

蛇石郁子さん

証拠をどんと突きつけました。向こうが出してきた証拠とは中身も勝負にならない。向こうの45点の証拠は、仲間をかばいあう証拠ばかり。指定弁護士側の証拠は、東電が会議をたくさん開いてて、その結果対策をとらなかったことが、よくわかる内容になっていた。そんなに会議を開いたのは何のためだったんだ。

海渡雄一弁護士

一言で言うと、検察官役が証拠の中身を詳しく説明され、弁護側とは、かなり勝負がついた。それだけの証拠が残っていた。きょうの裁判で、福島の事故で亡くなられた方、ひどい目に合わされた方の、ようやく敵がとれる、出発点になった。

これだけの事実が、福島のみなさんがひどい目にあう背景に、現実に行われていた。国の事故調査や検察の捜査が、ここまで隠ぺいされていたことがわかる。僕達が頑張らなければ、全て闇に葬られていたかもしれない。葬られていたものを、検察審査会の委員の人たちが掘り出してくれた。そのあとを引き継いで、検察官役の弁護士たちが証拠を精査して、今日出てきた冒頭陳述や証拠を作ってくれた。検察が集めたメールが放置されていたようだが、それを再捜査するなかでこれだけの事実がうかびあがってきた。本当に告訴団の告訴事件を担当させてもらって、強制起訴にまで持ち込んで、第一回の公判を検察官役のとなりで聞くことが出来て感無量で、涙がでるような経験だった。

今回の事件の本質は、現場としては絶対にやらなければいけない、そして、理論的にも現実にもやらなければいけない対策として出されていたものを、経営上の問題を重視して、やらないことにしてしまった。これにつきる。武藤、武黒、勝俣さんたちの部下たちは、対策が絶対必要だとはっきり思っていた証拠がこれだけたくさんある。津波対策は不可避だと繰り返し繰り返し出ている。そして、具体的な対策を、きちんと決裁にあげていた。

2007年11月の段階で、東電の土木グループと東電設計が話し合いを始めた。地震本部の長期評価にもとづいて福島の沖合でも津波地震が起きる前提での津波高さを決める作業だ。東京電力の代理人は、これは試みにやったものなんだ、試行的、試算だとかそういうことばかり言っていた。それは全く事実ではなくて、耐震バックチェックにおける最終報告において決定的に重要な位置づけのものだった。発注に際し、きちんとした仕様書も残っている。

この2008年の計算は、発注時に、勝俣さんまで入った会議で報告されていた。それに基いて対策をたてていった。これは明らかに社の方針として、その方向に進むという形になっていた。そこを否定しようとしている。しかし,客観証拠からいってとても否定しきれない。

弁護側は、従来の政府事故調、東電の主張に沿って弁護するつもりだろうが、それは成り立たないことは証拠ではっきりしたと思う。これは裁判所からみても、十分個人の責任として有罪判決がとれる証拠がそろっていると僕は思う。

今までの強制起訴のケースとは違う。本来であれば検察官自らが起訴しなければいけない、起訴できると思い証拠を集め、それだけの証拠を集めていた事件であると言える。

これだけの証拠を最初に調べてしまうのは、裁判所も非常に熱心な姿勢を示しているのではないか。かなりの数の証人、そして被告人質問が必要だろう。東電の津波対策にかかわった社員、東電設計の社員の証人調べは必須になるだろうとは聞いている。今後の進行については夏休み以降に決まる。次回の公判期日はまだ決まっていない。

冒頭陳述証拠要旨で明らかにされたメールなど新証拠の詳細については別稿で紹介)

 

保田行雄弁護士

起訴状に関する罪状認否で、3人の被告はこんなふうに言った。

勝俣氏「私は当時、予見することは不可能であったと考えている。したがって刑事責任はないということになる」

武黒氏「予見は不可能で自分は無罪」

武藤氏「役員として深くおわびを申し上げる。事故前にこのような津波を予見することは出来なかった刑事上の責任はない」

全く反省もなく、全面的に否認している。刑事事件としては異例と思うが、検察側の冒頭陳述のあとに、弁護側の冒頭陳述が行われた。弁護士がそれぞれ、本件で争われていることに対して基本的な反論を述べるもので、まず武藤氏の弁護人が被告人3人を代表して、共通の事項について意見を述べた。一つは、法令に合致して福島第一原発は運営してきたんだということ。津波の評価技術についても、土木学会の手法というものが唯一確立した手法であった。これを金科玉条にして、これに従っていたんだ、だから間違いはなかったという主張だ。一方、地震本部の長期評価は、発表と同時に内閣府から異論が出され、専門家からも異論が出され、さらには中央防災会議でも採用されなかった代物で、まだ未成熟であって、具体的に罪を問う予見可能性の前提としては使えない。ということを言っていた。

また、実際に東京電力が試算した結果に基づいても、今回のような規模の津波は予見できていなかった。想定外の津波であったというのが彼らの主張の骨子。まったく、自分たちが津波対策をやってきたことについて反省も無く、土木学会の手法に、国の法令に合致していたんだというところに逃げ込もうとしていた。

それを基本にしつつ、3人の主張は、それぞれ少し特色が出ていた。

勝俣さんは、「会長は、職務権限として会社の意思決定にかかわる権限はなかった。会長は、最高経営層には含まれていない。定款、取締役の決定、社内規定でも、会長には業務執行権限はなく、取締役としての分掌業務を与えられていなかった」。一番面白い点はこう言ってましたね。「被告人勝俣は、昭和38年に東電に入社して以来、一度も原子力関係の部署に席を置いたことはありません。地震津波に関する専門的知識もありませんし、原子力発電の技術的な事項に関する専門的知識もありません」。本当にこういうことを言う人が、福島第一原発のマネジメントをしていたんですよ。何も知らない人がやっていたと。恐ろしい話です。津波対策についても、吉田部長からの14mを超える津波がくるということを伝えられたというが、それはそもそも吉田が疑問視していたんだと。したがって吉田さんから言われても、内容を十分理解することも出来ないので、この具体的な予見可能性はないんだと言っている。

武黒さんは、いろんな会議に出ているが「詳しい記憶がない」という。一番の典型は、平成20年8月に武藤氏から津波についての報告を受けているが、「仮に被告人武黒が、被告人武藤から何らかの報告を受けたとしても、その内容は高い津波が出た、この点について専門家の意見を聞く必要があるので、土木学会に検討を依頼する。結論が出たらそれに基いて津波対策を行うという程度の話にとどまり、それまでの津波評価を覆すような話ではなかったために、特に記憶に残らなかったと考える」。だから覚えていないんだとぬけぬけと言っている。そして、フェローという地位は、まったく東電の社内の業務決定に関する決定権限はなかったんだと。反省のかけらもありません。

武藤氏は、同じような主張はしているが、権限がないということはなかなか言えない。東電は法令にもとづいた措置をしていた。そのような計算結果も出ているけれども、それは試みの計算の結果で、信用性はないんだ。彼らの主張の柱ですよね。そういうことを中心に述べている。「試計算の結果で明らかになったことだ」と言い、きちんとした計算結果であることを否定しようとする。「試計算」という表現の仕方が、それを表している。

自分たちは専門的知見もないし、知識もないし、権限もなかったなどという非常に恥知らずな主張をしている。しかし、津波対策に彼らが非常に深くかかわっていた証拠が出てきている。彼らとしても知らなかった、権限がなかったと逃げ込まざるを得ない状況なわけだ。

 

武藤類子さん、終わりのあいさつ
3人は法廷の中でそれぞれ無罪を主張しました。最初に謝罪のことばを、非常に小さい言葉で述べておられた。聞きたくもないという感じでした。この方たちが本当に自分の良心に恥じずに自分で主張したんだろうか。この方たちがしっかりと津波対策をしていたら、お金や労力を惜しまずに対策をしていれば、こんな悲劇は起きなかった。こんなにたくさんの人達が苦しむ必要はなかった。

責任追及の行方をみずして亡くなった被害者、告訴人も多くおられます。その思いをいだきながら裁判をみつめてきました。福島は復興だけが声高に叫ばれていますが、その影で解決されていない問題、新たな困難が山積みです。引き起こした責任の一番は東京電力です。私達は理不尽な被害にあった被害者です。加害者は東京電力です。裁判では被害者は67人に限定されてしまいました。この方たちの被害は大きかったが、その後ろに多くの被害者がいます。きょう3人の被告人をみて、あふれる思いがありました。これから、最強の指定弁護士をしっかり支援して、公正な裁判を行われるようにしっかりと見つめ、支援していきたい。

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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