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武藤元副社長の証言、弱点くっきり

福島第一原発を襲う津波 出典:東京電力ホールディングス

この記事では、前回の記事に引き続き東電株主代表訴訟(東京地裁)の4回目の証人尋問(2021年7月6日)の様子を紹介する。前回は武藤栄・東電元副社長への裁判長らによる怒涛の補充尋問について触れたが、今回はその口火を切った原告側からの反対尋問について、いくつかのテーマについて見ていく。

武藤氏は「津波については2008年6月の会議で初めて聞いた。推本《地震調査研究推進本部》の予測の根拠がわからないので、土木学会に検討してもらうことにした」と証言している。しかし部下が残したメールや議事録と矛盾する内容が多いことや、土木学会と推本の予測の扱いに不合理な違いがあることを、原告側の海渡雄一弁護士と甫守一樹弁護士があぶり出していった。
(「」の中の《》は筆者による注釈)

津波のリスク、武藤氏はいつ知ったのか

2008年2月1日に、津波想定を担当する山下和彦・原子力設備部新潟県中越沖地震対策センター所長や酒井俊朗・同部土木調査グループGM(グループマネジャー)が、福島第一と第二の幹部たちに、耐震バックチェックについて説明している。その時の資料[1]には「1F-6取水口全面で約T.P.+7.7mとの結果が得られているが、詳細検討を実施すればさらに大きくなる可能性がある」と書かれている。

山下センター長は「武藤氏に報告することなく、2月1日に1F、2Fの幹部への説明会を実施することは考えられないので、少なくとも武藤副本部長に対しては、私か吉田部長が説明会を実施することを事前に報告したと思います。またその際に、単に説明会を実施するということだけでなく、説明する内容についても簡単に報告したと思います」と検察に供述している[2]

 

海渡「そういうことは聞いたことありませんか」

武藤「ええ、私は報告うけておりません」

 

2月5日に、機器の設計・制作を担当する長澤和幸氏が酒井氏や山下氏らに送ったメール[3]には、こう書かれている。
「武藤副本部長のお話として山下所長経由でお伺いした話ですと、海水ポンプを建屋で囲うなどの対策が良いのではとのこと」

 

武藤「山下さんにそういうことを言ったということはありません」

海渡「このメールのタイトル自体が『1F、2F津波対策』となっていて、この時期は津波対策が議論されていて、海水ポンプの対策は直後の御前会議の資料にも出てきてるわけですが、これは津波対策の議論だったのではないですか」

武藤「私が津波の話を聞いたのは6月の会議が初めてであります(図1)」

図12008年6月10日の配布資料のサムネイル
図12008年6月10日の配布資料 内閣府の開示資料から

 

2008年2月16日に開かれた新潟中越沖地震対応打ち合わせの会議(通称、御前会議)。勝俣社長以下、武藤氏、山下センター所長らが出席した。この会議の資料には、「1F /2F耐震設計審査指針改訂対応のポイント」として4項目が挙げられ、そのうちの一つが「地震随伴事象である『津波』への確実な対応」だった。そして、具体的には津波高さの見直し案として「+7.7m以上」「詳細評価によってはさらに大きくなる可能性」と書かれていた[4]

 

海渡「地震随伴事象である津波への確実な対応という部分を読んだ記憶すらないんでしょうか」

武藤「はい、ここは説明があったということはないと思います」

 

3月6日に、機器耐震技術グループの山崎英一氏が、社内の津波想定や対策に関する部署に送った「【開催案内】1F /2F津波水位に関する打合せ」と題するメール[5]

「現在、土木Gにて津波高さの検討を進めており、結果がもうすぐ出るとの話を聞いております。また、先回の社長会議でも津波の対応について報告しています。評価上、津波高さが大幅に上がることは避けられない状況であることから、その対策について具体的なエンジニアリング《工事》スケジュールを作成し、土木、建築、機電含めて今後の対応策について検討していく必要があります。キックオフとして以下の日時(3月7日)にて打ち合わせを実施したい」

 

海渡「経営幹部の了承が受けられたのでグループ横断で、共同で津波対策が始まっているということが分かりませんでしょうか」

武藤「ちょっとどうしてこういう書き方になっているのか、私はよく分かりません」

 

3月20日に開かれた御前会議には、清水副社長、武藤氏、山下センター所長らが出席。この会議の翌日、山下氏はこんなメール[6]を酒井氏ら社内の関係者に送っている。

「昨日の清水副社長以下の会議で、来週以降の地域説明に向けた、QA《想定問答集》の充実を図るように指示がありました。(特に津波関係)」

 

海渡「清水副社長以下ですからあなたも入るかもしれませんが、そういう御記憶ないですか」

武藤「全くありません」

海渡「残っている資料からすると、山下さんが清水副社長以下から指示を受けて、関係グループとしてQAの充実化を図ったという、そういう作業の事実が残っているんですけれども、津波対策を充実化するということは、当然津波対策を実施することが前提の議論だったんじゃないでしょうか」

武藤「そんな話があったという記憶は一切ありません」

 

2008年2月ごろ、経営幹部が了承して津波対策が動き始めていた。多くの記録がそれを裏付けている。武藤氏はそれを否定するものの、「記憶がない」「読んでない」と言うだけで、具体的な証拠は示せなかった。

2007年には武藤氏は知っていた?

もっと早い時期から津波のリスクを武藤氏が知っていたと見られる文書があることも初めて指摘された。

東電は、社内で「原子力リスク管理会議」という会議を年2回程度、開いている(図2)。武藤氏は2010年6月までは同会議の主査、それ以降は事故当時まで会議の責任者を務めていた。

【図2】 国会事故調報告書 p.484

 

2007年5月作成の会議資料「2007年度上期、本部大《原子力・立地本部の全体》で管理すべき重要リスク(発電所運営に関わるリスク)」という表[7]には、「津波(外部溢水、引き潮)」という項目が設けられている。「設定想定高さ以上の津波によるプラントへの影響が懸念される」「対応方針(対応策)について早急に意志決定。BC《耐震性の見直し、バックチェック》スケジュールに合わせて具体的な対応を実施」。対応の緊急性は「中」とされている。

 

甫守「土木学会手法による設計想定を超える津波は懸念されているということは、2007年5月当時から分かっていたのではないですか」

武藤「安全性を積み増すとしてどこまで積み増すべきかという答えがでれば、今よりも高い津波水位を考えることになるという趣旨でここは書いてるんではないかなと思います」

甫守「対応策のところに、保安院、JNESと共に、外部溢水勉強会で設計想定高さ以上の津波によるプラント影響評価方法を検討しているといったようなことが書いてありますね。武藤さんは刑事裁判で、溢水勉強会のことは事故前に知らなかったとおっしゃってましたが、本当は原子力リスク管理会議で把握してたんじゃないですか」

武藤「いや、一切知りませんでした」
「ここまで読まなかったということかもしれません」

甫守「この次の会議も、それから次の次の会議も同じような記載が登場してるんですけども、いずれも読まなかったですか」

武藤「いずれにしても、その溢水勉強会というのは事故のあとになってそういうのがあったという話を聞いて、あ、そんなのがあったんだというふうに私は思いました」

甫守「2006年10月6日に、保安院から『土木学会手法に基づく津波水位に対して余裕が小さいプラントは、対応をとること』と指示があったことも記載されていますよね。これを読んでも保安院も土木学会手法による想定を超えるような津波への対策を要求していることは分かりませんでしたか」

武藤「いや、こんな細かな中身を全て管理会議の中で逐一読んで理解をするというようなことはやってないわけで、ともかく溢水勉強会の話は私は知りませんでした」

甫守「武藤さんは主査だったわけですけれども、こういった記載までは読んでいないということですね」

武藤「どこまで読んだかというのはちょっと記憶がありませんけれども、認識はしてなかったと思います」

 

会議の主査や責任者を務めながら、重要なリスク管理表に何度も登場している津波リスクについて「まったく読んでない」「認識していない」という言い訳は、少々苦しいように聞こえた。

土木学会は中身を問わず受け入れ、推本は根拠を疑う

土木学会は2002年2月、福島沖では津波地震は起きないとする評価方法をまとめていた(図3)。地震本部は同年7月、日本海溝沿いのどこでも津波地震は起きると想定した(図4)。

【図3】津波を起こす地震の発生場所として、土木学会が予測した領域(1から8の領域)。いずれも過去に地震が起きた歴史文書の残っているところ。日本海溝寄りの福島沖から茨城沖は空白になっており、地震が起きないとされていた。

 

【図4】長期評価(2002)で示された地震の起きる領域。赤線の日本海溝に沿った領域(長さ800キロ)の細長い領域のどこでも、M8クラスの津波地震が起きる可能性があると予測した。

 

武藤氏は2008年7月、「推本の予測の妥当性を、土木学会に数年かけて検討してもらう」という判断をした。その不自然さがどこにあるのかも、反対尋問で鮮明にされた。

一つは、「長期評価の根拠を地震本部に行って確かめてこいというふうに、なぜ指示されてなかったんですか」(海渡)という疑問だ。後に裁判長からの補充尋問でも、同様の疑問が繰り返された。武藤氏は「経営として適正な手順だろうと思った」と回答したが、推本に直接尋ねず、土木学会に検討してもらうのが適正なのかは腑に落ちなかった。

土木学会内で津波を検討する部会は、電力社員らが大半を占め、実態はただの業界団体のようなものだった。そして工学系の学会のため、「どこで地震がおきるか」について専門知識のある地震学者はわずかしかいなかった。

一方、地震本部は、当時のトップレベルの地震学者を揃えていた。どこで地震が起きるのか、という地震学の問題について、どちらに聞くのが適しているかは明らかだからだ。

 

もう一つの疑問は、武藤氏は「推本が福島沖に津波を想定した」根拠にはこだわった一方で、土木学会がそこに想定していない理由については、理解しようとさえしていなかったことだ。

 

海渡「福島沖に津波波源が設定されていないのは、過去の400年間の記録がないということ以外に何か根拠があるのかということは、あなたは酒井さんに確認しましたか」

武藤「いえ、この中身について、これは土木学会が標準化したものなので、専門家がおつくりになったもので私は専門でもありませんから、その中身についてどうだという議論はしておりません」

甫守「土木学会手法が福島沖に波源を設定していない。その理由については確認していないわけですよね」

武藤「いろんな規格基準があって原子力発電所というのは設計されてるわけでして、それについて役員が中身の詳細について一つ一つ把握をするというのは、それは無理です」

甫守「しかし、ここで長期評価が発表されたことによって、土木学会手法は福島沖になぜ波源を設定していないのか、そこが問題になっていたのではないですか」

武藤「いや、問題になっていたというお話を私、聞いたことないですけども」

 

武藤氏は、推本の専門家がまとめた予測については根拠を疑った。一方で土木学会については「専門家が作ったものだから」「役員には無理」と根拠を問わず、そっくり取り入れた。その違いはどういう理由からなのか、武藤氏は明確に示せなかった。

武藤氏は「原発ではオールジャパンで土木学会の津波予測方法を採用している」という証言を繰り返した。

津波の計算は①どんな地震が津波を引き起こすか決める②その地震が引き起こす津波の高さを計算する、という二段階で進められる。武藤氏が証言するように②の段階は、全国の原発で土木学会の方法が用いられていた。

しかし、どこで、どんな地震が津波を引き起こすかという①については、原発ごとにばらばらだった。日本海溝沿いでも、東海第二原発は2008年8月に推本の予測を採用していた。女川原発は同年に貞観地震(869年)を採用した。しかし東電はそれを握り潰した。「どこで地震が起きるか」という判断は、土木学会の方法では統一されていなかった。東電以外は、土木学会に検討など依頼せず、2002年以降の科学的研究成果をさっさと取り入れていたのだ。

武藤氏は「津波はオールジャパンで土木学会に従っていた」と何度も述べたが、それは実態と異なり、何の説明にもなっていなかったのだ。

[1] 甲298の3 資料15

[2] 甲349 山下和彦氏の供述調書 p.8

[3] 甲349 山下和彦氏の供述調書 資料5

[4] 甲349 山下和彦氏の供述調書 資料6

[5] 甲298の3 資料21

[6] 甲349 山下和彦氏の供述調書 資料9

[7] 丙203の1

 

 

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。
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