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私も「胃がん」になりました

 

ルポライター・明石昇二郎

【第1回】

明石、「がん告知」される

 

当「レベル7」サイトの編集長をしている明石昇二郎です。10月5日にサイトにアップしました、

 

「全国がん登録」最新データ公表

福島県で胃がんは3年連続で「有意に多発」していた(https://level7online.jp/?p=1744

 

という記事の執筆者でもあります。

実は、私の胃にも悪性腫瘍が見つかりました。告知を受けたばかりで、先月(2018年10月)6日に診断結果を告知されました。

私は今年3月、週刊金曜日で「福島で胃がんが多発している」という6ページの特集記事を書いております。東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原発事故が発生した2011年以降、福島県で胃がん患者が多発していることが、国の「全国がん登録」(全国がん罹患モニタリング集計)データによって確認された事実を報じたものです。患者数が単に増えているだけではなく、「統計的に有意な多発」(=確率的に「偶然」とは考えにくい多発)状態にありました。

10月5日にサイトにアップした前掲の記事は、その続報記事になります。告知を受けたのは、その記事をアップした翌日のことでした。

 

「胃がん検診」を受診

胃がんは早期に発見できれば完治も可能です。検査法や治療法が進化した現在、胃がんは「治せる病気」になりました。大事なのは、早期に発見し、対処することです。早期であればあるほど、体への負担が少なくて済み、短期間で社会復帰することが可能になります。

福島県民の間で胃がんが多発している原因はまだ定かでないものの、がん登録データで多発が確認された以上、福島県民の皆さんに注意を喚起する必要があります。「福島県で胃がん多発」記事の最大の目的は、まさにその「注意を喚起」することにありました。

そんなこともあって、私自身も数年ぶりに胃の検査を受けることにしたわけです。東京の23区内に暮らす私は、毎年受診を勧められる区の健康診査の際、胃のバリウム検査も自費で加えることにしました。今年7月のことです。

すると、区から呼び出され、精密検査を受けるよう勧められました。

「胃の穹窿部(きゅうりゅうぶ)前壁のひだが太くなっている」

というのです。穹窿部とは胃の上部のことですが、それがどういうことなのか、さっぱり意味がわかりませんでした。

まずは、以前から付き合いのある大学病院に紹介状を書いてもらうことにして、胃の内視鏡検査(上部消化管内視鏡検査)を受けることにしました。10年ほど前、口から内視鏡を入れる検査を受けた際に窒息し、顔表面の毛細血管が切れて顔全体に赤い斑点が現れるほど苦しんだ経験があったので、今回は鼻から挿入する経鼻内視鏡で調べてもらうことにこだわりました。初めての体験でしたが、検査中、医師や看護師さんと会話もできたほどで、口から入れるのとは雲泥の差です。

「ポリープがありますので、念のため採取して検査しますね」

医師からそう言われ、頷きました。採取の際の痛みもなく、15分ほどで検査は終わりました。これほど楽に済むなら、毎年でも受けられそうだ――。そう思いながら、大学病院を後にしました。

 

「胃の悪性腫瘍」と告知される

3週間後、妻とともに大学病院まで検査結果を聞きに行きました。担当医によると「赤いポリープ」があったので、それを採取して病理検査したのだそうです。その結果、悪性の腫瘍と診断しました――と言われました。それも、通常の胃がんとは異なる「胃カルチノイド」というものだというのです。初めて聞く病名でした。

「カルチノイドとは直訳すると『がんもどき』という意味ですが、胃から肝臓などに転移することもあるので、悪性の腫瘍です。これは大変珍しいがんで、ウチの病院では扱った症例がありません。なので、胃カルチノイドの症例を多く扱っている先生がいるA病院に紹介状を書きますので、そちらを受診して下さい」

私より10歳は若いであろう担当医から、そう告げられたのでした。

他の悪性腫瘍と比べ、比較的おとなしい腫瘍とされるカルチノイドは現在、NET(neuroendocrine tumor、神経内分泌腫瘍)という名称に変更されているそうです。遠隔転移する例もあり、「がんもどき」では誤った認識を与えかねない――との懸念からです。ただ、我が国の医療現場ではいまだに「カルチノイド」が使われ、現に私はそう告知されました。

がん患者本人に対し、妙にあっさりと告知するものですから、呆気にとられてしまったほどです。20年くらい前であれば、がんであることが本人に告知されることはほとんどなく、多くの場合、家族に告げられたものでした。その当時のがんは「不治の病」であり、今は「治せる病気」となり、本人に告げるところから治療が始まるのでしょうが、妻とともにかなりのショックを受けたのは事実です。

痛みなどの自覚症状は全くありませんでした。腫瘍の大きさも1センチ弱とまだ小さく、紹介状を携えて訪れたA病院では、外科手術で即刻取り除くという治療方針が決まります。早期発見ではあるものの、リンパ節への転移も想定し、腹腔鏡手術で胃の3分の2を切除することになりました。一回の手術で根治治療とするためです。手術日は、11月下旬と決まりました。

 

「被曝」と無縁で過ごすことはできなかった

1986年に発生したチェルノブイリ原発事故以降、原子力発電の問題の取材を続けている私は、一般の人よりは原発や放射能に関する知識は多少あるほうだと思っています。実際、2011年3月の福島第一原発事故の発生直後は、福島以南に位置する茨城県内に設置されたモニタリングポストと、福島以北にある東北電力女川原発のモニタリングポストの数値をインターネットで確認し続け、3月15日の朝には東京をはじめとした首都圏に高濃度の放射能雲(プルーム)が襲来することを事前に把握して、私が主宰するルポルタージュ研究所のウェブサイトで「放射能襲来予報」を発信し、対策を呼び掛けたこともあります。以降は、家族が口にする水や食事にも気を配り、事故発生直後の福島現地取材を見送り、事故後の福島県内に足を踏み入れたのは、原発事故の翌々月になる2011年5月上旬が最初でした。

その福島県取材の際は、頭には帽子と手拭い、服は作業着とナイロン製雨合羽、口には3M社製の防塵マスクと、事故直後に用意できるありったけの防護をした上で臨んでいます。防備服として使われている「タイベックス」などは、事故直後にはとても手に入りませんでした。その後も何度も福島県に足を運んでいますが、こうした格好で取材していたのはせいぜい1年間ほどです。それ以降は、普通の格好で取材していました。

この当時、福島県を取材する記者の間で囁かれていた言葉に「線量インフレ」というものがあります。当初は、持参した線量計が毎時1マイクロシーベルトを超える線量を計測するたびに驚いていたのが、次第に5マイクロシーベルトや10マイクロシーベルトくらいでないと別段驚かなくなる――というのです。被曝することに慣れてしまい、危機感や恐怖感がなくなってしまうのです。私にしても、同じでした。

 

福島県飯舘村長泥で。10マイクロシーベルトまで測れる線量計が振り切れ、「9.99」を表示している。つまり、何マイクロシーベルトあるのかわからなかった。近くでは、人々が普段着のまま歩き回っていた。(2011年5月15日)

 

線量計には、目に見えない放射線を「音」に置き換えて警告を発するタイプのものもあります。そのせっかくのアラーム音を「うるさい」から切ってしまうことも、よくありました。

滞在期間中の食べ物をすべて持参することなどできません。ですので、大半の食事は福島県内の飲食店で摂ることにしていました。

福島県取材の際に持参していた積算線量計によれば、私の積算被曝量は、2011年5月から2012年8月までの1年3か月間でおよそ1500マイクロシーベルト(1・5ミリシーベルト)です。もちろん、この後も福島県に通い続けていますので、原発事故後の7年間ではその数倍に達していることでしょう。言うまでもなく、これはいわゆる「外部被曝」に限った数値です。

放射能汚染は何も福島県に限った話ではありません。原発事故発生直後の2011年3月には、東京の水道水からも放射性ヨウ素やセシウムが検出されていました。東京都健康安全研究センター(東京都新宿区百人町)が東京都内の水道水中の放射能を調べた結果は、次のようなものでした(数値はBq/kg)。

 

採取日   I-131        Cs-137

2011/03/19              1.47         不検出
2011/03/20              2.85         不検出
2011/03/21              5.3           0.22
2011/03/22              19            0.31
2011/03/23              26            1.5
2011/03/24              25.6         2.4
2011/03/25              32            2.1
2011/03/26              37            1.8
2011/03/27              20            1.2
2011/03/28              9.8           0.82
2011/03/29              5.6           0.51
2011/03/30              5.1           0.9
2011/03/31              3.4           0.88

 

同月24日と30日、市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」が関東地方や宮城県、福島県在住の母親たち9人から母乳を提供してもらい検査したところ、千葉県柏市に住む女性の母乳から1キロ当たり36・3ベクレルの放射性ヨウ素が検出されていました。母親が飲食を通じて取り込んだ放射性ヨウ素が、母乳へと移行したのです。

同じ時期、厚生労働省でも母乳の検査をしています。4月24日と25日に採取した母乳を検査したところ、23人のうち7人の母乳から放射能が検出されました。放射性ヨウ素だけでなく、放射性セシウムも検出された母乳もありました。福島県いわき市の女性の母乳からは、1キロ当たり3.5ベクレルの放射性ヨウ素と、同2.4ベクレルの放射性セシウムが検出されたそうです。

まさにその同時期(2011年3月~6月)に私の仕事場で使用していた米国製浄水器「シーガルフォー」のフィルターが捕捉していた放射性核種の数値は、以下のとおりです。調べたターゲットは、半減期約2年のセシウム134と、半減期約30年の同137でした。

 

・セシウム134がフィルター1個当たり28.3ベクレル
・セシウム137がフィルター1個当たり23.3ベクレル
・セシウム合計でフィルター1個当たり51.6ベクレル

 

多少は被曝に関する知識のある私にしてもまた、福島県民の皆さんと同様に、内部被曝や外部被曝と無縁で過ごすことはできませんでした。

次回は、手術後の12月以降に執筆・掲載したいと思います。

 

このような事情のため、明石は編集長業務をしばし離れることになります。
当レベル7では、明石への応援のメッセージをお待ちしております。

 

 

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明石昇二郎

1987年に青森県六ヶ所村の核燃料サイクル基地計画のルポでデビュー。『朝日ジャーナル』ほか複数の週刊誌や月刊誌などに様々なテーマで執筆。テレビでも活動し、1994年、日本テレビ「ニッポン紛争地図」で民放連賞を受賞。著書に『刑事告発 東京電力―ルポ福島原発事故』(金曜日)ほか。

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