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第10回公判傍聴記

「長期評価は信頼できない」って本当?

5月8日の第10回公判は、気象庁の前田憲二氏が証人だった。前田氏は2002年から04年まで文部科学省に出向し、地震調査研究推進本部(地震本部)の事務局で地震調査管理官として長期評価をとりまとめていた。前田氏はその後、気象庁気象研究所地震津波研究部長などを歴任。04年から17年までは地震本部で長期評価部会の委員も務めていた。地震の確率に関する研究で京大の博士号も持つ「気象庁の地震のプロ」である。

長期評価の地図

 

◯「長期評価」は阪神・淡路大震災がきっかけ

公判では、検察官役の神山啓史弁護士と前田氏のやりとりで、「地震本部とは何か」「地震本部はどんなプロセスで長期評価をまとめるのか」などを一から明らかにしていった。長期評価は、2008年に東電が計算した15.7mの津波予測のもとになっている。この裁判で、もっとも土台となる事実の基礎固めをする証人だった。

前田氏は、「1995年の阪神・淡路大震災で6千人を超える死者があった。課題の一つは、学者の間では関西でもいつ大地震が起こってもおかしくないというのが常識だったのに、一般市民には伝わっておらず、認識のギャップがあったことだ」と説明。その解決策として、地震本部、そして長期評価の仕組みが作られたと述べた。

「研究者がまちまちに明らかにしていた研究成果を、国として一元的にとりまとめる。地震防災対策を政府や民間にしてもらうため、危険度を出すのが長期評価の目的」と話した。

◯三段階で熟議する長期評価

長期評価のとりまとめ方も念入りだ。前田氏によると、裁判で焦点となっている長期評価「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(2002年7月31日)[i]の場合、

  • 地震本部の海溝型分科会でたたき台をつくる。この分科会には、海で起きる地震に詳しい大学や国の研究機関の研究者ら13人が集まり、月1回程度会合を開いている(人数は2002年7月当時、名簿はこちら[ii])。
  • 分科会で作成された案は、さらに地震本部長期評価部会に上げられ、もう一度議論される。長期評価部会のメンバーは12人、こちらも月1回程度開催される。
  • ここで練られた案は、さらに上部組織である地震本部地震調査委員会(15人)が見直し、検討する。

 

という3段階で多数の研究者が議論してまとめられた。その結果、長期評価(2002)では、「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」の領域(地図参照)のどこでも、マグニチュード8.2前後の地震が発生する可能性があり、その確率が今後30年以内に20%程度と予測した。1896年の明治三陸地震、1611年の慶長三陸地震、1677年の延宝房総沖地震という三つの津波地震がこの領域で起きていることから、海底が同じ構造になっている福島沖でも同様に発生する可能性があると考えられたからだ。

「どこでも起きるという評価は、全員一致で承認されたのか」という神山弁護士の質問に、前田氏は「そうですね。はっきり意見が出されて紛糾してはいない」と答えた。

長期評価(2002)は、2011年3月の東日本大震災直前に改訂作業が進められていたが、その案でも、「どこでも起きる」という評価は見直されていなかった。また東日本大震災の発生後に改訂された長期評価第2版(2011)でも、変わっていない。公判で明らかにされたその事実からも、この評価が揺らいでいないことがわかる。

◯「不都合なデータ」も考慮した

弁護側の反対尋問は、岸秀光弁護士が主に担当した。岸弁護士は、「1677年の地震は海溝寄りの領域で発生したものではない」「1611年の地震の発生場所は定かではない」「海溝寄りの領域でも北部と南部では微小地震の起き方が異なる」などのデータがあったことを取り上げ、長期評価は不確実で信頼度が低かったのではないかと問いただした。

前田氏は、海溝寄りの領域については、同じ地震が同じ場所で繰り返し起きているというデータは無いので、他の領域とは評価の性質に異なる特徴があると説明。そして、岸弁護士が挙げたデータも地震本部の議論で取り上げているものの、それでも結論を覆すだけの根拠にはなっていないと答えた。

長期評価の信頼度に関しては、東電や国を被告とする民事訴訟でも同じような議論が、すでに何年も繰り返されている。それを超える「オー」と思わされるような新たな事実や論点は、今回の公判では弁護側から出てこなかった。

 

絵:吉田千亜さん
文部科学省の入り口に掲げられた地震調査研究推進本部の看板

[i] https://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/sanriku_boso.pdf

[ii] https://jishin.go.jp/main/chousa/05mar_yosokuchizu/shubun-4.pdf
のp.114以降

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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