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第12回公判傍聴記

「よくわからない」と「わからない」の違い

5月29日の第12回公判は、前回に引き続き島崎邦彦・東大名誉教授の証人尋問だった。

弁護側の岸秀光弁護士の反対尋問で始まった。「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのどこでも、マグニチュード(M)8.2程度の津波地震が起こりうる」という長期評価(2002年)がまとめられた過程について、地震本部の長期評価部会や海溝型分科会の議事録[1]をもとに、岸弁護士は島崎氏に議論の様子について細かく質問を続けた。特に、1611年の三陸沖(M8.1)、1677年の延宝房総沖(M8.0)を津波地震と判断した根拠が、あいまいであることを示そうとしていた。

議事録の中にある「三陸沖よりもっと北の千島沖で発生した津波ではないか」「房総沖の津波地震は、もっと陸よりで起きたのではないか」などの専門家の発言を岸弁護士はとらえ、「長期評価に信頼性は無い」という東電幹部らの主張を裏付けようと試みた。しかし、原発が無視してよいほど信頼性の低いものだと示すことは出来なかったように見えた。反対尋問は予想より早く終わった。

第12回公判イラスト(絵・吉田千亜)

◯「活発な議論がある=信頼度は低い」?

岸弁護士は、専門家たちが活発に議論していた様子から、長期評価は唯一の正解である科学的評価ではないと言いたかったようだ。

これに対し、島崎氏は、専門家の議論の様子を、「右に行ったり、左に行ったりしながら収束していく過程」と説明した。

「文字に残すと荒い、雑駁で不用意な発言に見えますけれども、みんなの意見が出やすいようにしている」

「1611年、1677年、1896年(明治三陸地震)と3回、津波が起きたのは事実。場所については議論が分かれているところもあったが、だからといって長期評価から外してしまっては防災に役立てられない」

こんなふうに反論した。

◯津波地震とハルマゲドン地震の違い

「証人自身も、歴史地震(地震計による観測がない1611年や1677年の地震)のことは、よくわからないと思っていたんじゃないですか」

岸弁護士は、こんな質問も島崎氏に投げかけた。

島崎氏が会合でこう述べていたからだ。

「やはり歴史地震の研究が不十分なところがあって、そこまでは未だ研究が進んでいない。現在のことがわかっても昔のことがわからないと比較ができない。今後いろいろな人が興味を持っていただければと思っている」

島崎氏は岸氏にこう説明した。

「(歴史地震の研究は)重要なのに、地震学者の間でさえその認識が行き渡っていないことが問題だという意味」

「『よくわからない』と、『わからない』は違う。震源域(断層がずれ動いた場所)が図にかけるほどわかっているわけではない。しかし全体的に見ていくと、津波地震である」

本当にわかっていなかったことの例として島崎氏が説明したのは、津波地震とは全く別の、ハルマゲドン地震だ。天変地異を引き起こす超巨大地震のため、こう呼ばれていた。

東北地方の日本海溝沿いでは、歴史上知られている規模をはるかに超える、陸地を一気に隆起させてしまうようなハルマゲドン地震が発生する可能性があることは1990年代後半から論文で指摘されていた。それは、東日本大震災を引き起こしたM9の地震の手がかりを、おぼろげながらつかんでいたとも言える。長期評価では「しかし、このような地震については、三陸沖から房総沖において過去に実際に発生していたかどうかを含め未解明の部分が多いため、本報告では評価対象としないこととした」というコメントの記載にとどまっていた[2]

一方、島崎氏は、M8クラスの津波地震については地震のイメージを持てていたと述べた。それを超える、理学的に可能性があるが姿が見えないハルマゲドン地震に比べると、津波地震のことはわかっていた。だからこそ、長期評価は津波地震については警告していたわけだ。

◯「異常な動き」を見せた専門家

この日の最後は、検察官役の久保内浩嗣弁護士からの質問で、大竹政和・東北大学教授(当時)と長期評価の関連について、島崎氏が証言した。大竹氏は、そのころ原子力安全委員会原子炉安全審査会委員や、日本電気協会で原発の耐震設計に関わる部会の委員を務めており、原発と縁の深い地震学者だ。

大竹氏は、長期評価が発表された直後の2002年8月8日に「1611年の地震は津波地震ではなく、正断層の地震(太平洋プレートが日本海溝付近で折れ曲がることによって生ずる)ではないか、今回の評価はこれまでに比べて信頼度が低い」などとする意見を、地震本部地震調査委員会委員長宛に送っていた[3]

そして、2002年12月から始まった日本海東縁部のプレート境界付近で起きる地震の長期評価の議論に、委員ではない大竹氏がずっと出席したことを「異常なことだと思いました」「地震の評価を巡って大竹氏が突然激昂されたこともあった」と証言。このプレート境界に近く、長期評価の影響を受ける東電柏崎刈羽原発との関連を示唆した。

[1] 地震本部長期評価部会海溝型分科会の第7回(2001年10月29日)から第13回(2002年6月18日)までの論点メモ
http://media-risk.cocolog-nifty.com/soeda/2014/01/post-61b6.html

[2] 地震本部「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」2002年7月

https://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/sanriku_boso.pdf
のp.22

[3] 島崎邦彦「予測されたにもかかわらず、被害想定から外された巨大津波」科学、2011年10月
https://ci.nii.ac.jp/naid/40018989811

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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