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第24回公判傍聴記

津波対策、いったん経営陣も了承。その後一転先延ばし

東京電力本店

9月5日の第24回公判では、津波対策の先送りを東電が決めた2008年当時、地震対応部署のトップだった山下和彦(やました・かずひこ)氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。幹部による、これだけ貴重な証言が、事故から7年以上も隠されていたのかと驚かされた。

重要な点は三つある。

1)地震本部が予測した津波への対策を進めることは、2008年2月から3月にかけて、東電経営陣も了承していた。「常務会で了承されていた」と山下氏は述べていた。

2)いったんは全社的に進めていた津波対策を先送りしたのは、対策に数百億円かかるうえ、対策に着手しようとすれば福島第一原発を何年も停止することを求められる可能性があり、停止による経済的な損失が莫大になるからと説明していた。

3)「10m級の津波は実際には発生しないと思っていた。根拠は特にないが、2007年に新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定を上回る地震を経験していたので、原発の想定を上回る地震が何度も起こるとは思いつかなかった」と述べていた。

 

山下和彦氏は、2007年10月に新潟県中越沖地震対策センター所長に就任。柏崎刈羽原発や、福島第一、第二原発の耐震バックチェックや耐震補強などの対策をとりまとめてきた。2010年6月に、吉田昌郎氏の後任として原子力設備管理部長に就任。事故後は、福島第一対策担当部長、フェロー(技術系最高幹部として社長を補佐する役)として事故の後始末に従事した。2016年6月にフェローを退任している。

山下氏は、当初は証人として法廷で証言すると見られていたが、健康上の理由などから出廷が不可能になったらしい。そのため、2012年12月から2014年12月にかけて4回、山下氏が検察の聴取に答えた調書を永渕健一裁判長が証拠として採用し[1]、この日の公判で検察官役の渋村晴子弁護士が約2時間かけて読み上げた。

 

山下氏が述べた三つのポイントについて、それぞれ見ていく。

 

経営陣は、常務会で津波対策を了承していた

 

政府の地震調査研究推進本部(地震本部)は2002年、福島沖でも大津波を引き起こす津波地震が起きると予測していた。東電で津波想定を検討する土木調査グループの社員らは、それに備えなければならないという共通認識を持ち、対策の検討を進めていたことは、これまでの公判で明らかにされていた(5〜9、18、19回公判)。

この日の公判でわかったのは、経営陣も、地震本部が予測した津波への対策を了承していたことだ。2008年2月16日に開かれた「中越沖地震対応打ち合わせ」(いわゆる御前会議)に、被告人の武藤、武黒両氏や山下氏が出席。この場で、地震本部の予測に対応する方針が了承され、それが3月11日の常務会でも認められたと山下氏は証言していた。6月10日に、津波想定を担当する社員が想定される津波高さが15.7mになることを武藤氏に説明した会合終了時点でも、「(津波対策を)とりこむ方針は維持されていました」と山下氏は検察官に説明していた。

 

運転停止による経営悪化を恐れて、対策先送り

2008年7月31日に、武藤氏は一転して津波対策の先送りを決めた(いわゆるちゃぶ台返し)。この理由について、防潮堤建設など数百億円の対策費用がかかることに加え、対策工事が完了するまで数年間、原子炉を止めることを要求されることを危惧した、と山下氏は説明。以下のように語っていた。「当時、柏崎刈羽原発が全機停止していて火力発電で対応していたため収支が悪化していた。福島第一まで停止したらさらに悪化する。そのため東電は、福島第一の停止はなんとか避けたかった」[2]

想定される津波高さは、当初は7.7m以上と説明されていたが、2008年5月下旬から6月上旬ごろ、山下氏は「15.7mになる」と報告を受けた。「これが10mを超えない数値であれば、対策を講じる方針は維持されていただろう」とも述べていた。

15.7mより低い想定値にすることは出来ないか、それによって対策費を削ることができる可能性がないか検討するために、土木学会を使って数年間を費やす方向が決められ、大学の研究者への根回しが武藤氏から指示された。

最終バックチェックに、地震本部の予測を取り込まないと審査にあたる委員が納得してくれないだろう。武藤はその可能性を排除するため、有力な学者に根回しを指示した。「保安院の職員の意見はどうなる」という検察官の問いに、「専門家の委員さえ了解すれば職員は言わない」と山下氏は答えていた。

2009年6月に開かれた保安院の審議会で、専門家から東電の津波対応が不十分という指摘がされた[3]ことについて、土木調査グループの酒井氏は「津波、地震の関係者(専門家)にはネゴしていたが、岡村さん(岡村行信・産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長、地質の専門家)からコメントが出たという状況」と関係者にメールを送っていたことも、公判で明らかになった。水面下で進めていた専門家へのネゴ(交渉)に漏れがあり、公開の審議会で問題になったと白状していたのだ。

 

「大地震、何度も、とは思わなかった」

 検察官の「津波は10mを超える可能性があったので、防潮堤まで作らないとしても暫定的な対策を考えたことはなかったのか」という質問に、山下氏は以下のように答えていた。

「10m級の津波は実際には発生しないと思っていた。根拠は特にないが、2007年に新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定を上回る地震を経験していたので、原発の想定を上回る地震が何度も起こるとは思いつかなかった」

この言葉に、傍聴していた人たちはざわついた。

その程度のリスク判断で原発を運転していたことに驚かされたのだ。大きな地震が2007年に柏崎刈羽原発を襲ったばかりだから、そうそう続いて大地震は起きないだろうというのは願望にすぎず、科学的な裏付けは全くなかった。

第9回傍聴記の最後に、私は「めったに起きないはずの地震に連続して襲われことは無かろうと、高をくくっていたのではないだろうか」と推測を書いていたが、本当にそのとおりだったのでびっくりした。

 

東電は、15.7mの津波想定を「試し計算」と自社の事故調報告書に書いている[4]。裁判でも、そう主張している。ところが刑事裁判における東電社員たちの証言で、報告書の記述は実態とかけ離れた「嘘」であることがはっきり見えてきた。検察の二度の不起訴を検察審査会がひっくり返して刑事裁判が始まったおかげで、ようやく事実に近づいてきたのだ。自分たちが引き起こした事故の検証を正直に出来ない会社が、柏崎刈羽や東通で再び原発を動かそうとしている。その状況は、とても恐ろしい。

 

この日の公判では、東電の西村功氏の証人尋問もあった。西村氏は、2008年当時、原子力設備管理部の建築グループで、原発の基準地震動設定など耐震設計に関わる業務を担当していた。地震の揺れの想定と、地震による津波の想定の間で、どのように調整していたか、違いはなにかなどを証言したが、特に目新しい事実は無かったようだ。

[1] 刑事訴訟法321条による

[2] 原発の稼働率が1%下がると、収益は100億円悪化する
国会事故調報告書http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3514600
p.534

[3] 総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤 合同WG(第32回)議事録

http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8797557/www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/107/3/032/gijiroku32.pdf

[4] 東京電力「福島原子力事故調査報告書」(最終報告書)2012年6月20日 p.21
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120620j0303.pdf

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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