特集ページ

被曝ニホンザルは訴える

1970年代後半に出版された「奇形猿は訴える」という一冊の写真集は、当時の日本社会に大きな衝撃を与えた。日本に生息する数十万頭のニホンザルのうち、なぜか餌付けされたサルだけに、四肢や指に奇形のある子ザルが生まれたのである。写真集は子ザルの姿とそれをいたわるような母ザルの姿を見事にとらえていた。

大学時代化学を専攻した私は環境問題に関心を持ち、やがてオゾン層破壊の研究に進んだ。文献を調べるうちに、私たちが日常的に大量の化学物質を口に運んでいることを知り、絶望的な気持ちに陥った。人工着色料、人工甘味料、酸化防止剤、防腐剤、界面活性剤などなど、数え上げれば切りがない。まさにレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の世界である。

時は下って2011年3月11日、テレビ局での記者人生を終わろうとしていた時に、東電福島第一原発事故の取材に立ち会ってしまった私は、否応なく事故原因の究明とともに、放射能の健康被害に向き合うことを余儀なくされた。小児甲状腺がんなど、人間への健康影響もさることながら、生態系への影響が懸念された。日本列島は長期にわたり、取り返しのつかない放射能汚染に晒されてしまったからである。

事実、シジミチョウ、アブラムシなどの昆虫からイワナなどの淡水魚、それに鳥類や牛など哺乳類にも異変が出始めていた。

私が最も注目したのは日本獣医生命科学大学羽山伸一教授のニホンザルに関する研究だ。羽山教授らは事故前の2007年から福島市に生息するニホンザルの研究を開始、そのさなかに福島第一原発事故が起きたのである。

ニホンザル
写真1 ニホンザル

 

・野生ザルの研究と原発事故

マタギ時代に絶滅の危機に陥ったニホンザルは、戦後一時期GHQが捕獲を禁じたことから数が増加、果樹など農作物を荒らす有害動物となり、再び捕獲が始まった。とりわけ1985年以降は日本全国で捕獲・殺処分が増加し、現在、年間約2万頭を超えるニホンザルが駆除される。

羽山教授らは2007年、絶滅を避けながら捕獲するため、福島市で野生ニホンザルの繁殖率などを調べる研究を始めた。調査の結果、メスのサルは生後約5年で生殖年齢に達し、秋に身ごもって翌年の春に出産することや、メスの妊娠率が50%程度であることなどが解明された。

こうした中、2011年3月11日、東電福島第一原発事故が発生した。放出された放射能はヨウ素換算で90万テラベクレル、チェルノブイリ原発事故の520万テラベクレルの約6分の1にのぼる。

ピーク時には住民16万人が避難したが、サルは避難できない。人間の食物は曲がりなりにも摂取制限や出荷制限がかけられたが、サルは自然界から摂取する以外に生きる道はない。

事故直後の2011年4月、羽山教授らはサルの健康被害調査に乗り出すことを決意した。当時の思いについて、次のように書いている。

「筆者らは放射性物質や放射能影響の専門家ではない。こんな原発災害が起こらなければ、おそらく一生このような研究分野には足を踏み入れなかったと思う。しかし、不幸にも筆者らは未曽有のこの災害に立ち会ってしまった。現場を知る者が見過ごすことはできないという単純な使命感だけで、この研究に取り組み始めたわけだが、同時に、こんな大きな問題に専門外の人間が関わってよいのかという恐れを抱いたのも事実だ。それでも、立ち会ってしまったものしか残せない事実が必ずあると筆者らは考えた。」(『日本のサル』 東京大学出版会 2017年5月)

写真4 羽山教授と胎仔のサンプル

 

・ニホンザルの行動と被ばくの現実

福島市のニホンザルは50頭から100頭が群れを作り、住宅地を外れた山裾などで、約4平方キロから27平方キロの範囲を生活圏としている。メスザルは一生、群れの中で暮らす。福島市の約30の群れにはすべて発信機が取り付けられており、行動は常にモニターされている。

羽山教授らはまず放射性セシウム(134Cs+137Cs)による土壌汚染とニホンザルの筋肉中のセシウム濃度の関係を解析した。対象となったのは2011年4月から2012年6月の間に捕獲された155頭である。(後に対象は2013年2月までの396頭に拡大された)

この結果、1平方メートル当たり10-30万ベクレルの土壌汚染の地域で2011年4月に捕獲されたサルでは、筋肉中セシウム濃度が1キログラム当たり6000から2万5000ベクレルにも上ることが分かった。

(図1)サルの生息地域と土壌汚染
(図1)サルの生息地域と土壌汚染

 

また土壌沈着量と筋肉中のセシウムには有意な相関のあることが分かった。つまり、土壌中のセシウム濃度が高いほど、筋肉中のセシウム濃度も高くなるのである。

さらに筋肉中のセシウム濃度を時系列で並べてみると、夏から秋にかけて、1キログラム当たり1000-1500ベクレル程度に下がるが、冬になると再び2000-3000ベクレルに上昇することがわかった。

この理由について羽山教授らは、食物による変化だと推測する。冬の福島では野菜、果物などがなくなり、サルは樹皮や冬芽などを食べることから、セシウム濃度が上がると見る。樹皮は葉よりも10倍程度セシウム濃度が高い。冬はメスが身ごもる季節であり、羽山教授らは胎仔(たいじ)への影響を懸念した。

 

・衝撃を呼んだ血液検査

羽山教授らが注目したのはサルの血液である。チェルノブイリ原発事故後、土壌汚染の高い地域で、子供の血球数などが減少する事実が知られていたからだ。

事故後、福島で捕獲されたサル61頭と、青森県下北半島のサル31頭の血液が比較された。

赤血球数、白血球数、ヘモグロビン、ヘマトクリット(血液中に占める血球の容積)を比べたところ、いずれも福島のサルは下北のサルに比べて、有意に低いことが分かった。福島のサルの筋肉中セシウム濃度は1キログラム当たり78-1778ベクレル、下北のサルは検出限界以下だった。

また造血細胞の減少も確認された。

 

[pdf-embedder url=”https://level7online.jp/wp-content/uploads/2018/07/グラフ1白血球数.pdf” title=”図1 土壌汚染とサルの群れの関係図”]

(グラフ1 筋肉中セシウム濃度と白血球数)

 

2014年に論文を発表すると大きな反響を呼んだ。とくに英ガーディアンや米ワシントンポストに記事が掲載されると、専門家からの問い合わせが相次いだ。メディアに掲載された専門家のコメントには、「標本が少なすぎる」「データのばらつきが大きい」「高レベルの汚染地域のデータがない」との批判が見られ、「被爆と健康影響の因果関係を証明していない」との主張が、いつも通り繰り返された。

造血機能が落ちると免疫力が低下する。1988年、北海・バルト海で起きたゼニガタアザラシの大量死は、ダイオキシンなどでアザラシの免疫力が低下したところに、新種のウィルスが蔓延し、爆発的な感染を引き起こしたためだ。

羽山教授は被曝ニホンザルの現状について、「血球数の低下を、直ちに健康被害ということはできないが、この結果として免疫力が低下していることが予想され、感染症の流行などで大量死が発生する可能性は否定できない」と警告する。

 

・衝撃だった胎仔への影響

血液の次に注目したのが、胎仔への影響だ。福島市で年間100頭程度捕獲されるサルのうち、身ごもっているメスの数は決して多くない。比較したのは2008年から2011年の事故前にお腹にいた胎仔31頭と、2011年の事故後から2016年までに捕獲された母ザルから取り出された胎仔31頭の二つのグループである。

震災後の胎仔の筋肉中セシウム濃度の平均は1キログラム当たり1059ベクレルである。

 

写真3 福島で捕獲されたサルの胎仔

 

結果は衝撃的だった。事故後の胎仔は成長が遅く、とくに脳の成長が遅れていたのである。

サルの成長の度合いを測る手法として、サルの座高に対する比率が使われる。横軸の座高に対して縦軸で体重をプロットしたのが次のグラフである。丸い点は事故後の胎仔で、三角点が事故前の胎仔だ。事故後は明らかに体重が軽い。

グラフ2 座高vs体重

 

また脳の容積を事故前後で比べると、事故後のサルの胎仔は脳の発達が遅れていることが分かる。グラフの横軸は座高、縦軸の数字は脳の縦と横の長さを掛け合わせた値で、脳の容積に比例することが羽山教授らの研究で明らかになっている。

 

グラフ3 座高vs脳容積

 

この結果に羽山教授自身も驚いたという。

「僕もびっくりしました。なんだ、これはと・・・。同じ体の大きさなのに震災後の方がやせています。低体重で発育不良です。」

脳については今後脳のどの部位が発達不良となっているのか、組織学的検査や病理学的な検査を行う予定だ。

福島の被ばくニホンザルの研究は、事故前から行われてきた研究のベースの上に成り立っている。それでも限界がある。一つはサンプル数が少ないことだ。時系列で定量的な研究を行うには、年間わずか数頭の胎仔では不可能である。

また帰還困難区域のように、土壌汚染のひどい地域での研究はようやく始まったばかりだ。

論文は2017年6月に発表されたが、血液の時とは打って変わって、メディアではほとんど取り上げられなかったという。

「私にとっては胎仔の方が衝撃だったのですが、全くと言っていいほど反応がありませんでした。昨年夏、霊長類学会でも発表しましたが、記事にはなりませんでした。」

事故後7年を経て、放射能の健康影響に対する関心が薄れた結果なのだろうか。専門家からは批判もあったという。

「核物理や放射線の専門家から、『そういう現象は確認されていない』とか、『線量と影響の因果関係は直線になるはずで、逆に直線にならなければ影響とは言えない』と言われました。しかし実際には個体差がものすごく大きいのです。私は若いころ10年ほどは臨床医もやっていましたのでよくわかりますが、同じ薬でも効き方が違いますし、副作用も違います。同じ放射線量でも影響の出る個体と出ない個体があるのです。」

羽山教授には苦い経験があった。1990年代、いわゆる環境ホルモンが問題になった時も、化学物質の暴露量と健康影響の明確な因果関係を示すことが困難だったが、多様な環境ホルモンが複合的に影響を与えていることは明らかだった。毒性と健康影響の関係を示す「用量反応曲線」を明確に示すことができないとして批判を浴びたという。

羽山教授らは現在、被ばくニホンザルの血液を詳細に調べている。まだ論文にはなっていないが、被ばくニホンザルの造血機能が、著しく毀損されている可能性があるという。赤血球数、白血球数、それにヘマトクリット(血液中の血球容積)が明らかに減少している。造血機能の低下は免疫機能の低下をもたらす。

一方、羽山教授の研究をもとに、現在の帰還政策に警鐘を鳴らす研究者がいる。東京大学の森敏名誉教授だ。森名誉教授は写真家の加賀谷雅道氏とともに、オートラジオグラフィーという手法を使って、帰還困難区域を含めた汚染地帯で動植物や採取し、放射能の影響を可視化するプロジェクトを進めている。

「現在、福島県の各市町村では年間の積算被ばく線量の上限が20ミリシーベルトという途方もない基準を設けて、避難区域を解除しました。そんなところに、これから子供を産もうとする夫婦も帰還すべきだろうか?この論文でニホンザルが野生環境の中で先行して示している“母胎内での胎児成長の鈍化”という危険なシグナルに、人間は謙虚に学ぶべきでしょう。医学生理学的には帰還してあえて人体実験に加わる必要など全くないと思います。」(WINEPブログより)

まるで何事もなかったかのように、政府は帰還政策を進める。前原子力規制委員会委員長の田中俊一氏が飯館村に居を構えたことが、美談として報じられている。「放射能による健康影響は大したことない」という「第二の安全神話」が作られようとしているのである。

被曝ニホンザルの血液や胎仔に現われた異変は、人間の健康影響の先行指標と言える。人間は自然から学ぶべきである。物言わぬ被曝ニホンザルの警告に、私たちは謙虚に向き合うべきだろう。

 

参考文献

1.Concentration of Radiocesium in the Wild Monkey over the First 15 Months after the Fukushima Daiichi Nuclear Disaster Hayama et al. PLOSONE (2013)

2.Small head size and delayed body weight growth in wild Japanese monkey fetuses after the Fukushima Daiichi nuclear disaster  Hayama et al.  Scientific reports 7

(2017)

3.『日本のサル』 東京大学出版会 2017年5月

タグ
もっと表示

倉澤治雄

1980年日本テレビ入社。報道局に配属され科学、警察、司法、防衛を担当。北京支局長、経済部長、政治部長等を経て2009年メディア戦略局主幹に就任。3・11後、解説委員として原発事故に関するニュースの解説をつとめる。「NNNドキュメント'12『行くも地獄 戻るも地獄〜倉澤治雄が見た原発ゴミ〜』」でJCJ賞受賞

関連記事

Close