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第11回公判傍聴記

多くの命、救えたはずだった

5月9日の第11回公判には、証人として島崎邦彦・東京大学名誉教授が登場した。島崎氏は1989年から2009年まで東大地震研究所教授。また、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が1995年に創設されてから2012年まで17年間にわたって地震本部の長期評価部会長で、その下部組織である海溝型分科会の主査も務めていた。政府として公式に地震リスク評価を公表する仕組みをつくり、普及させてきた中心人物だ。

そして、2012年から14年までは初代の原子力規制委員会委員長代理として、地震や火山の規制基準づくりも手がけた。地震リスク評価の第一人者というだけでなく、それに電力会社がどう対応するのか、という電力業界の実態にも詳しい。

島崎氏は、この日の公判では検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に答えて、主に以下の三つの項目について証言した。

  1. 長期評価の詳しい内容と、とりまとめの経緯。長期評価の報告書や、会合の議事録を読み解きながら、前回の公判で長期評価の事務局を務めていた前田憲二氏が説明した内容を、さらに詳しく説明した。
  2. 長期評価の信頼性について。長期評価(2002)は、「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」の領域のどこでも、マグニチュード8.2前後の地震が発生する可能性があり、その確率が今後30年以内に20%程度と予測した。この評価について、信頼度は「発生領域 C  地震の規模 A 発生確率C」とされているが、その意味を解き明かした。
  3. 長期評価の公表に圧力がかかったり、発表が延期されたりした不可思議な事件。島崎氏は推測であると断った上で、「原子力に関係した配慮があったに違いない」と述べた。

それぞれ、もう少し詳しく見ていこう。

◯複数の専門家で「もっとも起きやすい地震」評価

島崎氏は、長期評価がさまざまな分野の研究者の議論でまとめられた過程を説明した。地震の観測、得られた地震波の解析、古文書から歴史地震を読み解く、GPSを使った測地学、地質学、地形学、津波などの領域の研究者たちが関わる。独自性を尊ぶ研究者たちは、本来みな考え方が違う。その意見を最大公約数的にとりまとめ、「最も起きやすそうな地震を評価してきた」と島崎氏は述べた。

長期評価(2002)は、主に地震本部の海溝型分科会で、2001年10月(第7回)から2002年6月(第13回)にかけて議論された。その様子が記録された「論点メモ」を法廷でスクリーンに映しだし、長期評価がまとめらていく過程が細かく説明された。

◯信頼度は「数値に幅がある」という意味

久保内弁護士と島崎氏は、長期評価で使われる「信頼度」という用語についても、はっきりさせていった。

長期評価(2002)による「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのプレート間大地震(津波地震)」の信頼度は、
発生領域の評価 C
規模の評価      A
発生確率の評価 C
とされていた[1]
一方、南海トラフの地震は三項目ともAだ。
「南海トラフと比べて、対策は抑制的で良いということか」という久保内弁護士の質問に、島崎氏は「不適切です」と断言し、こう説明した。
「地震が起こることに違いはありません。たとえば発生確率の『信頼度』がCというのは、数値に誤差が大きいということ。確率20%は、本当は10%〜30%かもしれないということ。十分、注意しなければならない大きさです。当然、備える必要があることを示しています」

発生確率の信頼度は、地震発生が予測される領域でこれまで何回地震が発生した記録があるかで決められる。前日に開かれた公判でも、証人の前田憲二氏は、「発生確率の信頼度は、地震発生の切迫度を表すのではなく、確率の値の確からしさを表すことに注意する必要がある」[2]という長期評価の注意書きについて強調していた。今後の公判でも、「信頼度」と「切迫性」の区別は、注意する必要がありそうだ。

◯不可解な三つの事件、原子力への「配慮」?

島崎氏は、長期評価をめぐる三つの不可解な事件についても証言した。

最初の事件は、長期評価(2002)が公表される6日前、2002年7月25日に起きた。内閣府の参事官補佐(地震・火山対策担当)から、長期評価の事務局を務めていた前田氏に、「今回の発表を見送れ」という、以下のようなメールが届いたのだ。

 

三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について、内閣府の中で上と相談したところ、非常に問題が大きく、今回の発表は見送り、取り扱いについて政策委員会で検討したあとに、それに沿って行われるべきである、との意見が強く、このため、できればそのようにしていただきたい。

これまでの調査委員会の過程等を踏まえ、やむを得ず、今月中に発表する場合においても、最低限表紙を添付ファイルのように修正(追加)し、概要版についても同じ文章を追加するよう強く申し入れます。

 

地震本部の事務局は、内閣府と何度もやりとりをした後に、内閣府の「申し入れ」に従って、以下の文言を長期評価の表紙に入れることを決めた。

 

なお、今回の評価は、現在までに得られている最新の知見を用いて最善と思われる手法により行ったものではあるが、データとして用いる過去地震に関する資料が十分にないこと等のため評価には限界があり、評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には相当の誤差を含んでおり、決定論的に示しているものではない。
このように整理した地震発生確率は必ずしも地震発生の切迫性を保障できるものではなく、防災対策の検討に当っては十分注意することが必要である。

 

この文言を入れることを前田氏からメールで知らされた島崎氏は、「科学的ではないのでおかしいと思って、前田氏の上司の担当課長に電話して、文言を付け加えるぐらいなら出さない方がいい、反対ですと伝えたが、けんか別れに終わった」と証言した。

内閣府からのメールについては、前田氏自身も「公表の直前だったので面食らった」と証言している。

◯中央防災会議は福島を軽視した

二つ目の事件は、2004年に起きた。「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのどこでも津波地震が起きうる」という長期評価を、中央防災会議(事務局・内閣府)が採用しなかったのだ[3]

島崎氏は「中央防災会議は、(長期評価と)真逆の、誤った評価で防災計画をすることを決めた」と証言。中央防災会議が長期評価を尊重しなかった理由について、「原子力に関係した配慮があったのではないか」という推測を述べた。「長期評価によれば、(三陸沖から房総沖にかけての)原子力施設は、どこでも10mを超える津波対策を取らないといけない。これが中央防災会議で決まったら大変で、困る人がいる」という理由だ。

結局、中央防災会議は、福島沖の津波地震を「過去400年間起きていないから、そこで起きると保障できない」として対策から外した。一方で、首都直下地震については、過去に起きた記録のないプレート境界の領域にも震源を想定し、対策を検討してきた[4]。そのような違いがあったことを中央防災会議の専門委員でもあった島崎氏は明らかにし、こう証言した。「長期評価に従って防災を進めておけば、18000有余の命はかなり救われただけでなく、原発事故も起きなかったと私は思います」。

◯大地震の2日前、警告できたかもしれない

三つ目の事件は、2011年3月9日に予定されていた長期評価第二版の発表が、同年4月に延期されてしまったことだ。島崎氏は同年2月に「自治体と電力会社に事前説明したい。4月に延期したい」と地震本部事務局から連絡を受けた。

第二版には、2005年以降に仙台平野や、福島第一原発から5キロ離れた浪江町などで見つかった津波堆積物調査の成果が反映され、新たな地震の警告が加えられていた。以下のような記述だ。

 

宮城県中南部から福島県中部にかけての沿岸で、巨大津波による津波堆積物が過去2500年間で4回堆積しており、そのうちの一つが869年の地震(貞観地震)によるものとして確認された。最新は西暦1500年頃の津波堆積物で、貞観地震のものと同様に広い範囲で分布していることが確認された。これらの地域では、巨大津波が複数回襲来したことに留意する必要がある。

 

「本来なら3月9日夜のテレビと10日の朝刊に、内陸3〜4キロまで達する津波の警告が載ったでしょう。11日の地震で『ひょっとしてあれか』と思って、何人かの方は助かったに違いない。なんで4月に延期したのか、自分を責めました」。島崎氏は証言台で声を詰まらせた。

 

本来の発表予定だった3月9日の6日前、地震本部の事務局は、ほぼ完成していた長期評価第二版を東京電力、東北電力、日本原電の3社に見せていた。その場で、東電の担当者は「貞観地震が繰り返し発生しているかのようにも見えるので、表現を工夫していただきたい」と要望。地震本部事務局の担当者はこれに応じ、島崎氏ら委員に無断で、修正を加えていた[5]

公開前に電力会社に見せて修正の機会を設けたことと、発表延期に関係があるのかは、明らかになっていない。

 

証人イラスト 絵:吉田千亜さん

 

中央防災会議が想定した津波の原因となる地震の震源域。福島沖以南の津波地震は想定から外されている。

 

ガラスケースの中に展示されている津波堆積物。仙台市若林区の田んぼから掘り出された。水平に広がる黒い沼地の土壌の上に、津波が運び込んだ白っぽい砂の層が載っている。869年の貞観地震が引き起こした津波による。茨城県つくば市の地質標本館で。

 

[1] プレートの沈み込みに伴う大地震に関する長期評価の信頼度について(2003年3月24日)https://www.jishin.go.jp/main/chousa/03mar_chishima/kaisetsu.pdf

 

[2]地震本部地震調査委員会「千島海溝沿いの地震活動の長期評価について」2003年3月24日 p.15 注4

[3] 添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』岩波新書(2014)、p.63〜68

中央防災会議「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会報告」2006年1月
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/senmon/nihonkaiko_chisimajishin/pdf/houkokusiryou2.pdf

[4] 中央防災会議「首都直下地震対策専門調査会報告」2005年7月
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/senmon/shutochokkajishinsenmon/pdf/houkoku.pdf

[5] 経緯は、以下の文献に詳しい。
橋本学・島崎邦彦・鷺谷威「2011年3月3日の地震調査研究推進本部事務局と電力事業者による日本海溝の長期評価に関する情報交換会の経緯と問題点」
日本地震学会モノグラフ「日本の原子力発電と地球科学」2015年3月、p.34

http://www.zisin.jp/publications/pdf/monograph2015.pdf

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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