第23回公判傍聴記
「福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」
7月27日の第23回公判では、関係者の発言、別の原発が密かに実施していた津波対策など、「あっ」と驚くような事実が数多く開示された。事故に関して、まだ多くの情報が公開されていないことを実感させられた公判だった。
「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」
東京電力が津波対策の先送りを決めた2008年7月31日のすぐ後に、東電・酒井俊朗氏(第8・9回証人)は、このように発言したらしい。
「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」
2008年8月6日、日本原子力発電(原電)の取締役開発計画室長は、東電の津波対策先送りを聞き、こう発言していた。東電の決定は、原電役員が唖然とするようなものだったのだ。
東電が先送りした津波地震対策を、原電は先送りせず、少しずつ進めていたこともわかった。敷地に遡上することを全面阻止する(ドライサイト)のやり方ではなく、建屋の水密化なども実行していた。「他の電力会社も、地震本部の津波地震に備えた対策はしていなかった」ことを東京地検は、東電元幹部の不起訴理由に挙げていたが、それは間違いだと明確になった。
この日の証人は、日本原電で津波想定や対策を担当していた安保秀範(あぼ・ひでのり)氏。大学院では応用力学の研究室に所属。1985年に東電に入社し、2016年からは東電設計に移っている。2007年10月から2009年3月まで原電に出向し、開発計画室土木計画グループのグループマネージャーとして、東海第二原発の耐震バックチェックに関する業務を担当していた。
検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に安保氏が答える形で、事故前の議事録、メールなどをもとに、関係者の発言や考え方を追っていった。
「今回BCに入れないと後で不作為であったと批判される」
地震本部が予測した津波地震について、「今回のバックチェック(BC)にいれないと後で不作為であったと批判される」と、2007年12月10日、東電の高尾誠氏(第5〜7回公判証人)は語っていたようだ。公判で示されたメモ[1]で明らかになった。
2008年2月、高尾氏が今村文彦・東北大教授に面談し、その際に今村教授は「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」と指摘した[2]。
その内容について報告を受けた安保氏は、東電の金戸俊道氏(第18・19回証人)に、「こうすべきだとダメ押しされたという内容ですね」とメール[3]を送っていた。
これらのデータをもとに、日本原電の2008年3月10日の常務会では、地震本部による津波地震の予測について「バックチェックにおいて上記知見に対する評価結果を求められる可能性が高い」と報告されていた[4]。
「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」
東電の「津波地震を考慮する」という判断に引っ張られて、日本原電も防潮壁の設置した場合の敷地浸水をシミュレーションするなど、対策に動き始めていた。ところが2008年7月31日、東電は方針変換して津波対策の先送りを決める(いわゆるちゃぶ台返しの日)。
東電の先送り決定直後に、安保氏は、「なぜ方針が変わったのか」と東電・酒井氏に尋ねた。
「「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」と酒井氏は答えた」。安保氏は検察の聴取に、そのように述べていたことが、公判で明らかにされた。当時、2007年7月の地震により柏崎刈羽原発の7基が全て止まったままで、東電は2007年度、2008年度連続の赤字がほぼ決まっていた。
酒井氏の発言について、この日の公判では、安保氏は「今の記憶ではありません」「そういうふうに思ったということだと思います」などと述べ、内容を明確には認めなかった。
東電の先送りを受け、2008年8月6日に原電で社内ミーティングが開かれた。ここでの状況について、安保氏は以下のように検察の聴取に答えていたことが公判で明らかにされた。
当時取締役・開発計画室長だった市村泰規氏(現・同社副社長)は「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」と延べ、その場が気まずい雰囲気になった。
安保氏は、東京電力の方針を受け入れる代わりに、長期評価をバックチェックに取り入れない積極的な理由は東京電力に考えてもらいたかったと考えた。
このような8月6日の様子について、安保氏は公判で自ら説明することは無かったが、検察の聴取結果を指定弁護士に読み上げられると「言われてみればそういうふうに言ったと感じます」と述べた。
また、原電としては、東電の方針について「リーディングカンパニーである東電に従わないということは考えにくい」と検察に答えていたことも明らかになった。
津波地震への対策、多重的に進めていた
公判で示された資料によると、東電の先送り後、原電は2008年8月段階で、津波対策の方針を以下のように決めた。
・地震本部の津波地震による津波については引き続き検討を続ける。
・バックチェクについては茨城県津波でやる。
・津波対策については、耐力に余裕があるとは言えない。バックチェックの提出時点で対策工が完了していることが望ましい。茨城県の波源についての対策は先行して実施する
「茨城県の波源」とは、茨城県が2007年に延宝房総沖地震(1677年)と同じ規模の地震を想定し、浸水予測を発表したものだ。原電は東海第二原発の津波を最大4.86mと予測していた(2002年)が、茨城県の予測は5.72mでそれを上回り、原子炉の冷却に必要な非常用海水ポンプが水没してしまうことがわかった。そこで、ポンプ室の側壁を1.2mかさ上げする工事をした[5]。
茨城県の津波予測では、敷地(約8m)を超えない。しかし、地震本部の津波地震でシミュレーションすると敷地に遡上し、原子炉建屋の周辺部が85センチ浸水することがわかった。
そこで、原電は「津波影響のある全ての管理区域の建屋の外壁にて止水する」という方針を決める。
工事で不要になった泥を使って海沿いの土地を盛土し、防潮堤の代わりにして津波の遡上を低減。それでも浸水は完全には防げないため、建屋の入り口を防水扉や防水シャッタ−に取り替えたり、防潮堰を設けたりする対策を施した。
東日本大震災の時、東海第二を襲った津波は、対策工事前のポンプ室側壁を40センチ上回っていた。外部電源は2系統とも止まったので、もし、津波対策をしていなければ、非常用ディーゼル発電機も止まり、電源喪失につながる事態もありえたのだ。
安保氏も「側壁のかさ上げが効いていたと認識しています」と証言した。
原電の津波対策には、注目すべきポイントが二つある。
一つは、地震本部が予測した津波地震対策も進めていたことだ。東京地検は2013年9月に東電元幹部らの不起訴処分を決めた時、理由の一つに「他の電力事業者においても、推本の長期評価の公表を踏まえた津波対策を講じたことはなかった」を挙げていた。原電は、長期評価の津波地震に備えて建屋の水密化などを進めていたのだから、地検の不起訴理由で、この部分は間違っていたことがわかる。
もう一つは、敷地に津波が遡上してくることを前提にした対策を進めていたことだ。東電元幹部らの弁護側証人として出廷した岡本孝司・東大教授(第17回公判)は、防潮堤を超えた津波に対応する扉の水密化などの多重的な津波対策をとっている原発は「残念ながらありませんでした」と証言していた。これは間違っていたことがわかる。
また、東京地検も、2回目の不起訴の時(2015年1月)に「本件のような過酷事故を経験する前には、浸水自体が避けるべき非常事態であることから、事故前の当時において、浸水を前提とした対策を取ることが、津波への確実かつ有効な対策として認識・実行され得たとは認めがたい」としていた。原電が実施していた対策を見れば、これも間違いだったことがわかった。
この公判では、福島原発事故を検証する上で、同じ日本海溝沿いにある原電の津波対策を見ていくことがとても役立つことが明らかになった。しかし原電は、盛り土や建屋の水密化などの対策を実施していたことを、これまで公表していなかった。東電は、原電の28%の株を持つ筆頭株主である。その関係が、影響したのだろうか。
[1] 2007年12月10日 推本に対する東電のスタンスについて(メモ)高尾氏からのヒヤ
[2] 2008年2月26日 今村教授ご相談議事録
[3] 2008年3月3日、安保氏から金戸氏へのメール
[4] 2008年3月10日 日本原電 常務会報告 既設3プラントの耐震裕度向上工事の検討実施状況について
[5] このかさ上げ高さでは、津波地震の津波には不足している。安保氏は「波力の問題があるので、かさ上げが難しいので別の方法を検討しなければならなかった」と述べている。このため東日本大震災前に、ポンプ室については津波地震に対応できていなかった。推測だが、原電が高さ22m(緊急時対策室建屋の屋上)に空冷の緊急用自家発電機を設置し、原子炉建屋にも接続する工事を2011年2月に終えていたのは、この代替案の一つだったと考えられる。