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双葉駅から自転車で伝承館へ

双葉町のほぼ全域は帰還困難区域のため一般の人は今も入ることはできません。ただし、JR双葉駅の周辺の町中心部だけは、2020年3月から自由に立ち入りできるようになりました。

JR双葉駅から東日本大震災・原子力災害伝承館へ約2キロの道のりを、町が運営しているシェアサイクルに乗って行くと、変わりゆく街の様子をよく見ることができます。双葉駅東口にある自転車置き場で、100円硬貨を入れると自転車の鍵が外れて使えるようになります。自転車を返却すると100円は返却されるので実質無料です。(詳しい利用方法はhttps://www.town.fukushima-futaba.lg.jp/9189.htm)。

自転車は、伝承館横の町産業交流センターでも返却できるので、片道だけ使うこともできます。双葉駅の無料駐車場に自家用車を止めておいて自転車に乗り換えて伝承館に向かい、そこで返却。伝承館からの無料シャトルバス(https://www.town.fukushima-futaba.lg.jp/9225.htm)で駅に戻ることができます。

駅の周辺は、まだ10年前の地震当時の姿が、いたるところに残っています。双葉町消防団第二分団の詰所の時計は、地震直後の午後2時47分を指したまま止まっています。

商店街には、ガラスが壊れ、商品が散乱したままのお店がまだいくつもあります。ずっと帰還困難区域だったので、片付けもままならなかったのでしょう。

東に進んで国道6号線を渡ると(交通量が多いので、地下歩道を通ります)、双葉厚生病院や特別養護老人ホームなどの公共施設が集まった区域にきます。

前双葉町長の井戸川克隆さんは、福島第一1号機の爆発時には、このあたりで入居者の避難を助けていたそうです。ここで空から原発建屋の断熱材が降ってきたのを目撃したと著書に書いておられます(『なぜわたしは町民を埼玉に避難させたのか』)。「私らのところには10センチメートルぐらいの大きなかけらのようなものが落ちていました。ゆーっくりと舞い落ちる牡丹雪のようです」

立ち入りできる区域の南側ぎりぎりまで行くと、中間貯蔵施設(http://josen.env.go.jp/chukanchozou/)の北端部分を見ることができます。汚染土が詰まったフレコンバックの保管場や、受け入れ分別施設です。

道中の放射線量は、原子力規制委員会の放射線モニタリング情報(https://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/area2.html)で調べることができます。双葉駅前は毎時0.272マイクロシーベルト(事故前の約7倍)、伝承館は0.064マイクロシーベルト(同約1.6倍)ですが、谷沢町集会所4.195マイクロシーベルト(同105倍)のような高い値の場所もあります。(数値は2021年2月18日現在)

事故当時7140人だった双葉町には、まだ誰も住んでおられません。2022年に避難指示の一部が解除され、その5年後には駅周辺に約2千人が暮らす青写真を町は描いています。原子力災害に翻弄され、変貌最中の町の姿を、自分の目で確かめられるルートです。工事関係の大型車両が多いので、安全にはお気をつけください。

 

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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