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伝承館に足を踏み入れる

「東日本大震災・原子力災害伝承館」

「東日本大震災・原子力災害伝承館」は、東京電力福島第一原子力発電所事故の教訓を次世代に伝えることを目的に、2020年9月20日にオープンした博物館です。双葉駅から海に向かって車で5分。周辺は津波被害に遭い、ほとんど更地になっています。所々に残っている廃屋は、いずれ復興公園の遺構として整備される予定です。

そんな寂しい場所に豪華なガラス張りの三階建て。福島県が国の予算53億円もの国の予算を作って建設しました。ここから東京電力福島第一原子力発電所まではわずか4キロ。原子力発電所は見えませんが、一番の見所は2階の窓越しに見る荒廃した景色かもしれません。(2020年12月現在)

© 2020 東日本大震災・原子力災害伝承館

「プロローグシアター」

伝承館は、「災害のはじまり」「原子力発電所事故直後の対応」「県民の思い」「長期化する原子力災害の影響」「復興への挑戦」という6つのゾーンに分かれています。その手前、入館者が最初に足を踏み入れるのが、プロローグシアターです。

足元の床面から天井まで広がる7面スクリーンに最初に現れるのは、図書館風の映像。ピクサーアニメのような映像に切り替わると、1分半ほど、高度経済成長から事故までの経過を描き出します。

「1967年、あれは私がまだ20歳のときです。日本は高度経済成長のまっただなか。ここ福島でも原子力発電所の建設が始まりました」

ナレーションは、郡山出身の俳優・西田敏行さん、監修は、同じく郡山市出身のクリエーティブディレクター・箭内道彦さん。 福島県の復興PRコンビともいえる顔合わせです。

原発事故が起きて、どんな苦悩が描かれるのか。本編にどんな内容が待っているのか。前のめりに待っていると、あれ?会場が明るくなります。入館者全員が一瞬あっけに取られる感じ。さすがプロローグ映像です。何を見たのか、ほとんど記憶が残らない。極めて貴重な映像を見ることができます。”

© 2020 東日本大震災・原子力災害伝承館

この写真は「東日本大震災・原子力災害伝承館」のウエブサイトからお借りしました。この建物は展示室内での写真撮影が禁じられています。同伝承館は、事故前に津波来週の予想があるながらも、対策を怠った東京電力や国の不作為をはじめ、東京電力や国の責任を問う内容がないことや、語り部が自由にものを語れないなど、様々な批判がありますが、この撮影禁止も大きな問題といえるでしょう。報道によると、こうした批判を受けて、オープンからわずか半年の2021年3月、展示の一部を変更したといいます。

「長期化する原子力災害の影響」

入場者のほとんどが素通りしてしまう悲しいゾーンが「長期化する原子力災害の影響」と「復興への挑戦」の2つです。そのうち、「長期化する原子力災害の影響」で取り上げられているのは、除染や県民健康調査、風評被害。長期避難や生活困窮、災害関連死など、人々の現在の生活については一切、触れられていません。

また展示されているものも、政府が公表している資料や道具を並べただけ。高校生が学園祭で、公的資料集を拡大コピーして壁に並べただけの展示をしたような、そんな印象さえ受けます。3人の専門家のインタビュー映像も、映像解説のプレートも話者の名前もなく、5分程度のインタビューがひたすらループしているだけなため、立ち止まって見る人はほとんどいません。

ちなみに、「県民健康調査」について語っているのは、福島県立医科大の安村誠司教授ですが、撮影日はオープン前のわずか2ヶ月前、2020年7月末でした。しかも天気は雨。アーカイブ性の高い博物館の展示映像に、わざわざ雨の日のインタビューが使われているのは極めて珍しいことです。企画が直前に変更になったのでしょうか。5月下旬には緊急事態宣言は解除されていることを考えると、なかなか理解しがたい制作進行です。

ただ、こうしたチープさにより、県のプロパガンダを、多くの人が素通りする効果を生んでおり、特定廃棄物埋立情報館「リプルンふくしま」といった「工夫された」資料館より罪が少ない点は評価すべきかもしれません。

© 2020 東日本大震災・原子力災害伝承館

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白石草

テレビ局勤務を経て、2001年にOurPlanet-TVを設立。2004年に法人化し代表理事に。311後、原発事故や被曝問題などを取材し、放送ウーマン賞、日本ジャーナリスト会議賞、「東電テレビ会議〜49時間の記録」で科学ジャーナリスト大賞などを受賞。著書に『チェルノブイリ28年目の子どもたち』(岩波書店)ほか。

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