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なぜ福島第一だけ爆発したか、伝承館は語らない

伝承館は「記録と記憶を、防災・減災の教訓として、みらいへつないでゆく」とうたっています。なぜ事故が起きたのか原因を知り、どうしたら事前に防ぐことができたのか学ぶことは、未来に伝えなければならない大切な教訓です。ところが、伝承館にはそのような展示は全くありません。

津波で電源が水没して原子炉を冷やすことができなくなり、核燃料が溶け落ちて原子炉に穴を開け、放射性物質を漏らした。そんな基本的な仕組みは展示されています。

しかし津波に襲われた原発はほかにもあります。なぜ東京電力福島第一原発だけが大事故を起こしたのか説明はありません。そこが、この大災害を解き明かす核心なのに。

地震を予測する国の機関は、2002年に福島沖で大津波が発生する可能性を指摘していました。国は、東電に対して福島第一原発で津波高さがどのくらいになるか計算するよう要請しましたが、東電はその時は40分も抵抗して拒否しました。その計算結果を東電が国に伝えたのは9年後の2011年3月7日。大津波の4日前でした。計算結果は15.7m、実際に襲来した津波は約13mでした。

この大津波への対策を、東海第二原発(茨城県東海村)は2008年から進めていました。海辺のポンプを守るために防潮壁をかさ上げし、海辺に盛り土して津波の勢いを弱め、さらに原発の建屋に水が入らないように扉を強化し、それでも十分でないときのために、水没しない高い位置に新たに電源を設けていました。完成したのは2011年2月、地震の1か月前でした。

女川原発(宮城県女川町)を運転している東北電力は、2008年秋に最新の津波予測を報告書にまとめていました。この最新予測でも女川原発は大丈夫という結果でしたが、同じ津波で福島第一は水没し、炉心溶融を起こすことがわかりました。その事実が世の中にばれると東電は困ります。そこで東北電力に圧力をかけて、報告書を書き換えさせました。同じころ、津波の研究者からも津波対策を進めるよう東電は言われていましたが、先送りしてしまいます。

国の要請を拒否したことを上司や他の電力会社に伝えた東電社員の電子メール、東海第二が進めていた多様な津波対策、女川原発の報告書に東電が圧力をかけた電子メールのやりとりなど、貴重な記録はたくさんあります。どうして伝承館は展示しないのでしょうか。

伝承館には、事故を経験した人たちの生の声を聞くことができる「語り部講話」の部屋もあります。ところが朝日新聞の記事(2020年9月22日)によれば、伝承館は語り部の人たちに東電や国の批判をしないように求め、語りの原稿を確認し、添削しているそうです。

事故の責任に関わる記録や記憶は、未来へつないでゆくどころか、むしろ消し去ろうとしているのが、現在の伝承館のあり方のようです。

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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