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2006〜2007年 国と東電、津波の想定超え対策を葬る

(国の責任を考える その2)

前回[1]述べたように、原子力安全・保安院は2002年8月、津波想定の見直しを東電に迫ったものの抵抗され、津波対策をうやむやにされてしまった。今回は、それ以降にも過酷事故を防げたチャンスがありながら、活かせなかった失敗に焦点を当てる。

2004年にインドの原発が設計想定を超えた津波に襲われた事例を見て、保安院は津波に危機感を持った。そこで、想定を超えた津波をかぶっても最低限の安全が確保できるように、2010年度までに全国の原発で対策を実施しようとした。ところが、保安院はまたもや電力会社の抵抗に屈して、何も対策を進めることができなかった。その経過を、保安院で原発の安全審査を担当していた小野祐二・原子力発電安全審査課審査班長が東京地検に供述した調書[2](写真1、全64ページ)から明らかにする(敬称略、《》は筆者注、太字は筆者による)。

写真1 原子力規制委員会の開示文書

インド・マドラス原発に「想定超え津波」襲来

2004年12月、インドネシア・スマトラ島の西方沖で、M9.1の巨大地震が起きた。その地震とともに発生した津波はインド洋を約1300キロ渡り、インド東岸にあるマドラス原発も襲った。津波は10.56メートルまで遡上したが、敷地の高さ11.2メートルにわずかに届かず、原発主要建屋は浸水を免れた。しかし非常用海水ポンプは海水に水没して原発は緊急停止し、運転不能になった。

このトラブルを深刻に受け止めた保安院とJNES(原子力安全基盤機構)が動いた。「重要な案件と判断されたようで、確か、佐藤均原子力発電安全審査課長から、勉強会を立ち上げるよう指示を受けて、私が、「内部溢水《いっすい》、外部溢水勉強会」《以下、溢水勉強会》に携わることになったと記憶しています」(調書p.4、黒塗り部分[3])と小野は供述している。

津波から1年後の2005年12月14日に、保安院、JNES、東電が参加して開いた溢水勉強会の準備会合で、「《小野から》想定を上回る津波などの自然現象が発生しうるという前提で、対策の検討を進めてほしいという内容の話がありました」と東電の社員は検察に供述している[4]

2006年1月17日に、保安院とJNESが開いた溢水勉強会の準備会合の資料(写真2)[5]には、「津波溢水AM《アクシデントマネジメント》[6] 浸かったと仮定しプラント停止、浸水防止、冷却維持の調査」「緊急度 ニーズ高」「想定を超える津波(土木学会評価超)に対する安全裕度等について、代表プラントを選定し、以下のスタディを実施する」などと書かれている。

写真2 原子力規制委員会の開示文書

小野は以下のように供述している。「私は、当時、耐震班《保安院の耐震安全審査室》の人間からだったと記憶していますが、『原子力発電所の中には、土木学会手法による想定津波と非常用ポンプの電動機の高さとの差が数センチメートルしかないものがある』という話を聞いていました。《インドのマドラス原発と同様に》非常用海水ポンプが水没すれば、残留熱除去系の海水ポンプを使用した冷却機能が失われ、原子炉の安全上、重大な故障が生じるおそれがありました。ですから、私としては津波PSA《確率論的リスク評価[7]》の確立を待たずに、電力事業者にできることから自主的な対策をとらせていくべきだと考えていました」

この日の会合の資料には、「津波AM対策イメージ」という一枚の図(写真3)[8]もあり、22FY(2010年度)までに想定外津波に対するAM対策を実施し、その結果を取りまとめる計画が示されていた。この通りに津波対策が実行されていれば、福島第一の事故は、完全には防げなかったとしても、とても小さい規模のものに抑えられていただろう。

写真3 原子力規制委員会の開示文書

2006年5月「敷地を超える津波が来たら?」「炉心溶融です」

2006年5月11日に開かれた第3回溢水勉強会で、福島第一に高い津波が襲来するとどんな事態を引き起こすか、東電が報告した(写真4)[9]

写真4 原子力安全・保安院の開示文書(国会図書館WARP)より

小野は以下のように供述している。

津波の高さが建屋のある敷地高10メートルを超えると、「海側に面したタービン建屋(T /B)の大物搬入口やサービス建屋(S /B)の入り口などから、タービン建屋の中などに海水が流入する結果、タービン建屋地下1階にある電源室が浸水し、電源喪失に陥り、それに伴い、原子炉安全停止に関わる電動機や弁などの動的機器の機能が喪失することが分かりました」(調書 p.9、PDFのp.10)。

これは、5年後に起きる事故のシナリオそのものだった。

「この結果を聞いて、確かJNESの蛯沢《勝三》部長が『敷地を超える津波が来たら結局どうなるの』などと尋ね、東京電力の担当者が『炉心溶融です』などと答えたと記憶しています」(調書p.9 黒塗り部分)

「このようにして、勉強会の参加者は、敷地を超える津波が来た場合には、電源や冷却機能の喪失を通じて炉心溶融に至る危険性を改めて認識し、蛯沢部長は『敷地を超える津波については、アクシデント・マネジメント対策として考えて、機器が水没しないようにしていかないといけないね』などとコメントしたと思います」(調書p.9〜10 黒塗り部分)

この回の議事次第(写真5)[10]には、手書きで「水密性 大物搬入口、水密扉 →対策」などと書き込まれており、小野は「蛯沢部長の発言内容をメモしたものではないかと思います」(調書p.10 黒塗り部分)と説明している。

写真5 原子力規制委員会の開示文書

福島第一の現地視察で「あまりに余裕が無さすぎる」

2006年6月9日、午前9時から午後3時までかけて、溢水勉強会のメンバーは福島第一の現地視察をした。対象は5号機。小野班長ら保安院2人、JNESから6人、北海道電力1人、中部電力1人、東電から9人が参加した(写真6)[11]

写真6 原子力規制委員会の開示文書

「サービス建屋の自動ドアには遮水措置はなく、またディーゼル発電機吸気ルーバーが敷地の低い位置にあるため、敷地を超える津波が来た場合には、そこから海水が入りこんでくることなどを確認しました」(調書p.10)

小野は非常用海水ポンプにも注目していた。「土木学会評価値が5.6mで、機器レベルが同じ5.6mというのは、あまりに余裕が無さすぎる」と発言したことが東電作成の記録に残っている[12]

小野はこう供述している。「電力事業者は相変わらず『土木学会手法で十分想定しています。想定を超える津波というのはどれくらいの津波を想定したらいいのか分からない状態では対策の打ちようがない』と主張していました。私は、溢水勉強会の場だったと記憶していますが、何度も『女川だって基準地震動を超えました。自分たちの知見だけでは分からないことがあるのです。自主的に対策を打っていかないとだめです』などと主張していました。しかし、電力事業者は動こうとしませんでした。私は、特に余裕の少ない福島第一原子力発電所に対しては、早急に対策を打たせるべきだと考えており、耐震室《保安院・耐震安全審査室》と電力事業者とを動かすにはどうしたらいいかと考え始めました」(調書 p.13)

保安院の安全審査官だった名倉繁樹は、東電元幹部の刑事裁判[13]で、こう証言している。
「小野班長は、事業者との間で、想定される津波に対してどれぐらい余裕があればいいか、激しい議論をしていました」
「水位に対して何倍とるべきだとか、延々と議論していたと思います。《具体的な対応をしない事業者に》苛立ちがあったと思います」

(続く)

[1] Level7「2002年8月 国と東電、福島沖の「津波地震予測」を葬る」2022年5月7日
https://level7online.jp/2022/20220507/

[2] 東京地検 小野祐二 供述調書 2012年10月16日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲B第35号証)
https://database.level7online.jp/items/show/59

[3] 黒塗りの理由を、原子力規制委員会は「行政機関の保有する情報の公開に関する法律 第5条第1号本文に該当」「公にすることにより、なお個人の権利利益を害するおそれがある」としている。裁判所に提出された文書には黒塗りは無い。

[4] 東京地検 長澤和幸(東電社員) 供述調書 2012年10月29日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲B第31号証の1)近日レベル7で公開

[5] 小野供述調書、資料1(PDFのp.25)

[6] 「AM《アクシデントマネジメント》策とは、主に設計で想定していない事故が万が一発生しても、現状の設備等を有効に活用することにより、炉心損傷等を防止する対策のことをいいますが、ここでのAM策には万が一の事故に備えた機器の改良も含まれると理解していました」東電・長澤の供述調書(2012年10月29日)p.9

[7] ある高さの津波が発生する確率等を算出した上で、安全評価を実施する確率論的手法。

[8] 小野供述調書、資料1(PDFのp.27)

[9] 小野供述調書、資料3(PDFのp.30)ただし、供述調書はコピーの状態が悪いため、国会図書館WARPに収録された同一の文書https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/05/240517-4-1.pdf

(これのp.2)をここでは掲載している。

[10] 小野供述調書、資料3(PDFのp.32)

[11] 東電・長澤の供述調書、資料10(PDFのp.47)

[12] 同上

[13] 東電元幹部の刑事裁判 第29回公判
https://level7online.jp/2018/%E7%AC%AC29%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E5%82%8D%E8%81%B4%E8%A8%98/

 

 

 

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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