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「電力事業者はコストをかけることを本当にいやがっている」小野班長の嘆き

(国の責任を考える その3)

前回[1]に引き続き、2006年から2007年にかけて、想定外津波に備える必要性を認識していながら実行しなかった国と東電の動きを追う。

その前に、そもそも想定外対策とは何かをおさらいしておこう。原子力安全についての有名な教科書に載っている例え話で考えるとわかりやすい。

 

 〈例:エレベータの定員〉
あるエレベータに「定員10名」と表示されているとしよう、そこであなたが設計者に
「もし11名乗ったらこのエレベータは落っこちるでしょうか」
と訊ねたとしよう。答は決まっていて、
「そんなことはありません。11名乗って問題が起こるような作りにはしていません」
というはずである。そこで
「じゃあ、11名乗ってもよいということですね」
と訊けば、この答も決まっていて
「いいえ、あくまで定員10名で設計しているのですから、この定員は厳格に守っていただかなくては困ります」
と言うはずである。つまり、設計には必ず十分な余裕が取ってあるが、これを当てにして設計の条件を逸脱してはならない、すなわち、余裕はあくまで余裕として確保しておかなければならない、ということである。これは、工学という、常に現実に直面している学問が持っている「理外の理」とでも言うべきものであって、この「理外の理」が、実は工学の産物を私たちが安心して利用できる礎地となっているのである。


もちろん、事故が設計の範囲を超えれば、その超えた
程度によって影響が深刻になっていくのは当然である。しかしそれも、いわばなだらかに、連続的に変化するのであって、あるところを超えたら事態は一挙に絶望的、というようなことになることは極めて少ないと考えてよい。
佐藤一男『改訂 原子力安全の論理』p.205

 

ところが、福島第一原発は、このエレベーターよりずっと安全性が劣った状態だった。まず、余裕が全く無かった。想定よりわずか数センチ高い津波が襲来すれば、非常用ポンプのモーターが浸水して止まってしまう状態だった。さらに想定を超えると、事態が一挙に絶望的になる点でもまずかった。溢水勉強会で、想定超えはすぐに炉心損傷や全電源喪失を引き起こすことがわかっていたのだ。エレベーターの例えならば、定員をわずかでも超えればすぐにケーブルが切れて落下してしまうようなものである。

だからこそ、原子力安全・保安院の小野審査班長は、「特に余裕の少ない福島第一原子力発電所に対しては、早急に対策を打たせるべきだ」と考えていたのだ。

小野の覚え書き「津波高さを決めて、対策を打たせていくことも必要」2006年6月

そこで小野は「内部溢水及び外部溢水の今後の検討方針(案)2006/06/29」(写真1)をまとめた。「平成18年(2006年)6月下旬ごろ、私が頭を整理し、電力事業者に対して対応を促す方法について考えた、私の覚え書きになります」と検察に供述している[2]。「電力事業者に対し、自主的対策を打たせていくためには、津波PSA[3]確立を待っていてはだめで、ある程度保安院で津波高さを決めて、対策を打たせていくことも必要ではないかという個人的な意見を叩き台として書き出した部分になります」とした部分には、以下のような項目が挙げられている。
○土木学会評価手法による津波高さ《福島第一は5.7メートル》の1.5倍程度を想定し、必要な対策を検討し、順次措置を講じていくこととする(AM《アクシデントマネジメント》対策との位置付け)。
○対策は、地域特性を踏まえ、ハード、ソフトのいずれも可。
○最低限、どの設備を死守するのか
○対策を講じる場合(中略)、そうであれば、2年以内の対応となるのではないか

小野は、この覚書を上司の佐藤均・原子力発電安全審査課長や、川原修司耐震安全審査室長にも渡して説明した、と供述している。また、審議官ら保安院幹部や、JNESの幹部が出席する安全情報検討会でも報告した。

写真1原子力規制委員会の開示資料

第54回安全情報検討会(2006年9月13日)の資料(写真2)[4]には、津波対策(溢水問題)について「緊急度 及び 重要度」の項目に、こう書かれている。
我が国の全プラントで対策状況を確認する。必要ならば対策を立てるように指示する。そうでないと「不作為」を問われる可能性がある

写真2 原子力規制委員会の開示資料

保安院「早急に検討して前向きに対応するよう」2006年10月6日 

2006年9月19日に耐震設計審査指針[5]が28年ぶりに全面改定された。この指針で、津波に関しても「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」と定められた。

これにあわせて、既存の原発も、改定された指針に適合しているかチェック(耐震バックチェック、BC)するよう、原子力安全委員会は保安院に求めた[6]

このころ、小野は、川原耐震安全審査室長にこう主張したと供述している[7]。「津波のことですけど、きちんと対策をとらせる必要があります。自然現象ですから、不確定な部分が多いですし、女川の基準地震動だって超えましたよね。津波だってわかりませんよ。実際、海外でも事例はありますし、安全情報検討会でも幹部から指示が出ています。あとはバックチェックであわせてやってくれるよう、ぜひお願いします」
2006年10月6日に、保安院は電力会社を集めて耐震BCについての一括ヒアリングを開いた。「打ち合わせの冒頭で、審査課小野班長同席の上、川原室長から津波対応についてハード的対応を含めて早急に検討して前向きに対応するよう言われた」と電事連が作成したメモ(写真3)[8]に書かれている。このメモには「今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」とも書かれている。

写真3 原子力規制委員会の開示資料

これについて、東電の長澤和幸は以下のように供述している。「川原室長や小野班長だけでなく、保安院の幹部も了承した上で保安院全体としての意向を述べたものであり、電力各社に対しても上層部まで伝達した上で、会社としての対応を求める趣旨のものと理解しました」。

この要請は、東電の武黒一郎副社長兼原子力・立地本部本部長まで伝わっていた。武黒は保安院のこの要請について「必ずしもという認識ではなかった。可能であれば対応した方が良いと理解していた」と刑事裁判で証言している[9]

小野「何も進んでいませんでした」2007年4月4日

「その後、結局、年度内は、電力事業者から何の音沙汰もなく、平成19年《2007年》4月4日になってようやく検討結果を持ってきました」と小野は述べている[10]

このとき、電力会社側が持ってきた説明用資料の図(写真4)[11]を見ると、福島第一は津波想定(評価値)と敷地高さがほぼ同じで余裕が全くなく、全国の原発中で最悪の状態だったことがわかる。そして福島第一は、唯一「検討対象サイト」と位置付けられていた。

写真4 原子力規制委員会の開示資料

この会合に出席した小野は
「設計水位を少し超えただけで炉心損傷の可能性が高い状態というのは許容できず、想定外の水位に対して、起きる事象に応じた裕度の確保が必要」
「3月の安全情報検討会でも、ハザード的に厳しい地点では弱い設備の対策を取るべきなど、厳しい意見が出された」
などと述べていたことが電事連と東電の担当者がまとめた議事メモ[12]に残っている。

小野と一緒に電力事業者の説明を聞いた保安院・名倉繁樹・安全審査官は、小野は「事業者とかなりはげしくやりとりしていた」と刑事裁判で証言している。

小野はこの日の様子について、こう供述している。

このときの電力事業者の説明は、以前と変わらず、「土木学会手法による想定津波波高が妥当で、十分な余裕を見ていますから敷地を超える津波というのは想定しにくい。津波PSA確立を待って、想定を超える津波に対する対策は考えたいと思う」という話の蒸し返しでした。
前回の一斉ヒアリングから半年も経って出した結論がこれか、電力事業者はコストをかけることを本当にいやがっていると思うと、正直、電力事業者の対応の遅さに腹が立ちました
実際、平成17年《2005年》の宮城県沖地震では、女川原子力発電所において、基準地震動を超える地震を計測しており、自然現象は不確定要素が多く、私たちの知見を超えることがあるということを経験していました。
そして、原子力発電所においては、設計想定を超えて敷地を超えて津波が来た場合、炉心溶融に至る可能性もあり、そうなった場合の影響は計り知れないものがありました。
実際、非常用海水ポンプの高さと、想定津波との高さとの間に余裕がないプラントもあり、とりわけ、福島第一原子力発電所と東海第二発電所については、早急な対策を打つべきだと考えていました
(中略)
なのに、何も進んでいませんでした

(続く)(敬称略、《》は筆者注、太字は筆者による)

[1] https://level7online.jp/2022/20220516/

[2] 東京地検 小野祐二 供述調書 2012年10月16日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲B第35号証)のp.13(PDFのp.14)黒塗り部分
https://database.level7online.jp/items/show/59

[3] 津波に関する確率論的安全評価のこと。津波の発生確率や、その津波による影響の度合いなどを定量的に評価する考え方。当時は研究中で、その評価方法は確立しておらず、不確定な部分があるため現在も原発の規制には用いられていない。

[4] 原子力規制委員会の開示資料 2014年9月1日付
https://database.level7online.jp/items/show/24
開示された文書のPDF(これの3ページ目が写真2)
https://database.level7online.jp/files/original/16bfac4e2cc9cc685ca75f06a58b81eb.pdf

[5] 原子力安全委員会「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」2006年9月19日
https://warp.da.ndl.go.jp/collections/info:ndljp/pid/3533051/www.nsc.go.jp/shinsashishin/pdf/1/si004.pdf

[6] 原子力安全委員会「「耐震設計審査指針」の改訂を機に実施を要望する既設の発電用原子炉施設等に関する耐震安全性の確認について」2006年9月19日
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3533051/www.nsc.go.jp/anzen/sonota/kettei/20060919-2.pdf

[7] 小野供述調書 p.16(PDFのp.18)黒塗り部分

[8] 東京地検 長澤和幸(東電社員) 供述調書 2012年11月5日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲B第31号証の2)資料1(PDFファイルのp.21)近日レベル7で公開

[9] 東電元幹部の刑事裁判 第32回公判 2018年10月19日
https://level7online.jp/2018/%e7%ac%ac32%e5%9b%9e%e5%85%ac%e5%88%a4%e5%82%8d%e8%81%b4%e8%a8%98/

[10] 小野供述調書 p.18(PDFのp.19)

[11] 小野供述調書 資料8(PDFのp.60)

[12] 小野供述調書 資料9(PDFのp.62-64)

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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