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冒頭陳述解説

2017年6月30日昼休みの報告 冒頭陳述の内容解説を中心に

海渡弁護士から

最初に人定質問が行われて、そのあと起訴状朗読がありました。これは石田省三郎弁護士がされて、このあと各被告人の罪状認否が行われ、3人とも自分は無罪ですというような言い方をしていました。最初に言葉だけのおわび、「ご迷惑をおかけいたしました」のような言葉が少しだけありました。しかし事故は予見不可能でしたと言い、弁護士がそれに詳しい説明を加え、3人とも判で押したように無罪の主張をしています。

そのあと、検察官の冒頭陳述。10時20分ぐらいに始まり、11時50分まで90分間。120分の予定だったが読み上げる神山弁護士が早口のため早まりました。

冒頭陳述のポイントや、検察官役のココロがこもっているところを読んでみたい。

最初に「テーマ」と書いてある。

人間は自然を支配できません。
私達は、地震や津波が、いつ、どこで、どれくらいの大きさで起こるのかを、事前に正確に予知することは適いません。
だから、しかたなかったのか。
被告人らは、原子力発電所を設置・運転する事業者を統轄するものとして、その注意義務を尽くしたのか。
被告人らが、注意義務を尽くしていれば、今回の原子力事故は回避できたのではないか。
それが、この裁判で問われています。

そのあと、原発の概要、設置状況、事故でどういうことが起きたか。
双葉病院の被害者がどんな悲惨な状況でなくなったかも、どの時点でどの方がなくなったかまで、相当詳しく説明された。

そこの結びの部分は

本件事故がなければ44名もの尊い命が奪われることはなかったのです。

ここは、検察官役の神山弁護士が、声を大きくして読んでいました。

そのあと、事故の原因の議論に入って、事業者の注意義務の説明があって、勝俣氏、武藤氏、武黒氏の具体的な役割の説明。

そして、重要な「本件の争点」。以下のように書かれています。

10m盤を超える津波の襲来から、本件原子力発電所を守る対策としては、
①10m盤上に想定水位を超える防潮堤を設置するなど、津波が敷地へ遡上するのを未然に防止する対策。
②建屋の開口部に防潮壁、水密扉、防潮扉を設置するなど、防潮堤を越えて津波の遡上があったとしても、建屋内への浸入を防止する対策
③部屋の開口部に水密扉を設置する、配管等の貫通部に止水処理を行うなど建屋内に津波が侵入しても、重要機器が設置されている部屋への浸入を防ぐ対策
④原子炉への注水や冷却のための代替機器を津波による浸水のおそれがない高台に準備する対策

があり、これらの全ての措置をあらかじめ講じておけば、本件事故の結果は未然に回避することができました。
東京電力は、本件事故後、事故調査報告書において、これらのことを明らかにしています。
そして、津波はいつ来るか分からないのですから、津波の襲来を予見したなら、これらの安全対策が完了するまでは、本件原子力発電所の運転を停止すべきだったのです。
被告人らが本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来する可能性があることを予見し、あるいは予見しうる状況があったのであれば、被告人らにこのような安全対策をとるべき義務があったことは明らかです。
ところが被告人らはいずれも、本件事故が起こるまでは本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することは予見できなかったと主張しています。

したがって、この裁判では、被告人らがそれぞれ、本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することを予見できたか否かが主要な争点となります。
そこで、指定弁護士は、次に述べる諸事実を証拠により立証し、それらの事実を積み重ねることにより、遅くとも平成23年3月初旬には、本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することを予見できたということを明らかにします。

この部分の意味がとても重要です。
どの時期に、10m盤を超える津波が予見できたか。対策しなければならなかったかは大きな争点になると思われていた。石田さんらは、原発を止めておけば良かったんだという理屈をたてていますから、事故の直前である平成23年3月初旬、簡単にいうと3月7日に東電が保安院に津波の報告に行って、「もっと早く対策を取らなければダメだ」と小林勝さんらに言われた段階でも止められたはずだと言っているんです、これは。

 

もっと前にわかっていたとも言っていますが。過失を問う一番ポイントは平成23年3月初旬には遅くとも予見できていたんだといっている。

そのあと、国の津波防災対策、文科省の推進本部の長期評価の説明が続く。
そして土木学会の重み付けアンケートでは、平成16年度に実施されたアンケートで、

①過去に発生例がある三陸沖と房総沖で津波地震が活動的で、他の領域は活動的でないという見解
②三陸沖から房総沖までのどこでも津波地震が発生するという地震本部と同様の見解で、地震学者ら専門家の回答は、①に重みをつけたのが0.46、②が0.54で、①の地震本部の見解の方が多かったと説明されてる。

それから内部溢水・外部溢水勉強会。そして平成18年9月の耐震バックチェック。それにもとづく対策が始まる。

ここで重視されているのは、新潟県の中越沖地震の発生で、「新潟県中越沖地震対策センター」が設置されて、その中に土木調査グループがあるのですが、そして「中越沖地震対応打合せ」が持たれてきた。これは被告人ら全員が出席していた最重要の会議で、その場で議論されていたことが強調されていた。

平成19年11月ごろから、地震対策センターで、長期評価の取扱について検討をはじめて、土木調査グループの社員らはバックチェックにおける津波評価に際しては、長期評価にもとづいた想定津波水位を算出して、保安院に報告すべきかどうか検討して、東電設計との間で詰めの作業に入っていた。

これは、上司の承認もうけて、平成20年1月11日に長期評価の見解にもとづく津波評価業務を東電設計に委託した。まだ、この段階ではこの証拠の詳しい中身が要旨告知されていませんけれども、この委託書の内容が午後の大きな注目ポイントになるかなと思います。

検察官役が重視しているのが、この年の2月16日に被告人3人が出席した「中越沖地震対応打合せ」です。

ここで、今行ったような方針が、地震対策センター長によって報告され、そこで「津波の高さ7.7m以上、詳細評価によってはさらに大きくなる可能性」という説明の上で発注している。この報告に対し、被告人3名から特段の異論はなく、長期評価の見解を取り上げる地震対策センターの方針が了承された。

このへんの会議でこういう形のことがあったことは、今まで正確な形では示されていませんでした。

3月18日に東電設計から評価が上がってきた。冒頭陳述におけるここの表題が「15.7mの衝撃」となっている。僕らも感じていたけど、東電の内部で、衝撃的な数字だったということを示しています。

以下のように書かれています。

15.7mの計算結果が、詳細な資料とともに示されました。

本件原子力発電所の1号機から4号機は、10mの高さに設置されているのですから、この結果は、敷地の高さを越えて津波が襲来するという衝撃的なものでした。

この計算結果によれば、当然、原子炉・タービン建屋内に海水を浸水させない対策が必要になります。

担当者は、この結果を上司に報告し、この上司の指示を受けて、東電設計に対し、敷地への津波の遡上を防ぐため、敷地にどの程度の防潮堤を設置する必要があるのかの検討を早急に行うよう依頼しました。

これを受けて、同年4月18日、東電設計は東京電力に対して、10m盤の敷地上に1号機から4号機の原子炉・タービン建屋につき、敷地南側側面だけでなく、南側側面から東側全面を囲うように、10m(O.P.+20m)の防潮堤(鉛直壁)を設置すべきこと、5号機及び6号機の原子炉・タービン建屋を東側全面から北側側面を囲うように防潮堤(鉛直壁)を設置すべきことなどの具体的対策を盛り込んだ検討結果を報告しました。

先日、朝日新聞に報道されていましたが、これは社として決まった方針に基づいて、計算した結果、この津波に対応しなければならないとしたら、この対策が必要になるということで、東電設計から示されたものです。

「中越沖地震対応打合せ会議」は被告3人とも出ていて、以下のように位置づけられています。

柏崎刈羽発電所や、本件原子力発電所の耐震安全性や津波安全性を確保するという案件は、東京電力の経営にとって極めて重要な事項でした。したがってこの案件を所管する原子力・立地本部の担当者にすべてを委ねるのではなく、被告人ら最高経営層が一同に会して、細部に至るまで継続的に、かつ具体的な協議を行うことが、効率的であり、その必要性もあったのです。このような理由で「中越沖地震打合せ」は特別に開催されるようになりました

と書かれています。
そういう意味では中越沖の問題と、福島の津波対策は完全にセットで議論されていて、津波対策をやらないという決定の背景に、柏崎が止まっていて、そして耐震補強にずいぶんお金がかかることが、経営層の判断に影響していたということは十分あるでしょう。残念なのは、中越沖地震後、新潟では知事の頑張りもあって、耐震バックチェックが完了しない限り原発が動かせない状態になっていた。福島も耐震バックチェックを完了させるためには津波対策をやらなければいけないことはわかっていた。そのことは繰り返し担当者らが言っていたことのようなので、にもかかわらず、津波対策が完了していないのに原発を動かすことを認めてしまったという意味で、福島県の責任も重いかなと思います。

次に、甫守弁護士から。

弁護士になって5年ぐらいだが、これだけ注目されて、ものものしい裁判は、初めての経験で、身の引き締まる思い。

今日、疑問だなと思ったのは、法廷に入ると、記者席がたくさん確保されている。傍聴席の半分が白いシートで、「そこは記者が座るから座らないでください」となっている。裁判所は1社に対して2席ずつ優先的な傍聴を認めているらしいが、ぎりぎり認めて1席でしょう。
直接の被害者に加え、この起訴状にあらわれない被害者は山のようにいらっしゃる。告訴団にも告訴人がたくさんおられて、裁判を注目しておられる。被害者がこれだけたくさんおられる事件で、これだけ記者に優先的な傍聴を認めないといけないか、弁護士としては疑問です。心ある報道機関の方はそう書いてもらいたい。一番悪いのは裁判所ですが。

被害者参加は最近できた制度ですが、その方から依頼された弁護士という形で、傍聴しています。
被告人の3方は元気に、特に健康を害している様子もなく出頭されました。最初は後ろの席にすわっていましたが、人定が終わると前に座って自分自身も身を乗り出して、それだけ裁判の行方に注目して、なんとか無罪を勝ち取ろうという姿勢が見えた気もします。裁判の争点は、民事裁判でもそうですが、事故の予見可能性です。津波が予見できたか、因果関係、結果回避可能性。計算してあれに備えてやっても事故が防げなかったという弁護側の主張はどうなのか。

刑事裁判が一番違うのは、基準時が違う。
民事裁判で争うと、長期評価が発表された2002年の数か月後には、計算すれば対策は出来たでしょうと、なんでそれをやらなかったんですかと。それから防潮堤を作っても十分間に合ったでしょうという話もありますし、そのあと2006年の溢水勉強会で、もし大きな津波が来たらあっという間にメルトダウンどころか、RCICもおしゃかになって、全交流電源喪失を超えるひどいことになるとあの時点でわかったのだから、あの時にやっておけばよかったでしょうという考え方もある。

今回、刑事裁判では、検察官役は平成23年初旬までにすべきだった、なんらかの適切な措置に、原子炉の停止も含めている。それをやっておけば良かったんだ、というのがポイントになっています。

具体的には、平成23年3月7日に保安院に報告したときに、そこで小林さんに「早く対策を取らないといけない」と言われたと出ている。3月7日でも、止めておけばよかっただろう、そうすれば防げただろう。止めなければいけなかっただろう。そういう話ですね。

これを聞くと、民事裁判としては、忘れかけていた視点を思い出させてくれる。安全を確保できない原発は、動かしていけないんですよ。あたりまえの話ではないですか。そういう制度になっているじゃないですか。法律もそうなっている。万が一でも起こらないように審査する。万が一でも起こりそうだったら止めなくてはいけない。それだけの話です。福島第一原発では、津波が来るかもしれないというのはわかっていたはず。まあ、来ないだろうみたいな、一か八かに賭けてはいけないんだ。それだけの話で、防潮堤に3年かかるから間に合いませんでしたという話ではない。

やばいと思ったら止めないといけない。そこからスタートすべきなんだというところを、指定弁護士に目を覚まさせていただいた。とにかく止めなきゃいけなかったんだ。民事では、止めるのは、国が規制する場合には、非規制者の不利益が大きいからやりにくいだろうと頭を働かせることはあるが、止めるというあたりまえの主張、あたりまえの話をやっていかないといけないなと強く思った次第です。

事実のレベルで争いがあるとしたら、一番大きいのは、指定弁護士は平成19年12月に、少なくとも現場担当者レベルでは長期評価をやると決めていた、そのことを武藤に報告していたというストーリーを持っている。弁護人側は「あれは試算です。決めてたわけではない。案の一つだった」となるだろう。この事実のレベルでの話を勝ち切るのが有罪へのポイントになる。

なぜ、現場の担当者は長期評価を取り入れないといけないと思ったか、少し説明された。一つは、長期評価が政府の権威ある機関の見解であること。土木学会のアンケートでも、長期評価の見解を支持する考え方が多かったこと。それから東京電力の東通原発の設置許可で、地震本部の見解を取り入れている。ということは、地震本部の見解を、福島第一、第二で取り入れないと矛盾してしまいますから、取り入れざるをえないと決まっていた。この三つを指定弁護士から挙げられていた。

それから、我々はつい見逃しがちになるが、東電は確率論もちゃんとやっていた。確率論は10m、15mと言う津波が、何年に1回ぐらいの頻度でくる津波だったのかということをその当時の知見でなんとか算出しようという試み。1万年に1回から10万年に1回ぐらい、10m盤を超える津波が来る。東京電力の中ではちゃんと計算していました。その結果は不確かなものかも知れないけれども、自分たちで計算した結果だから、当時の甘々だった基準を前提としても、対策にとりくまなければならない数字だった。

海渡弁護士からも図が示されたが、10m版の上に10mの防潮堤を築く対策をしようとしていた。吉田さんは、本当に起きるとは思っていなかったと証言しているが、この対策は無くならなかった。東電設計に対して、これ以外の対策も考えてくれというような指示もあったが、7月まで10m盤の上に10mという対策は残されたままだった。やらざるを得ないという状況があった中で、武藤さんは金がかかりすぎるし、地元に対して説明が難しいというような話もあって、やめてしまった。

民事の時に迷いがちだったのは、長期評価はどこでもおきますよという話だが、明治三陸という大きなタイプが起きるのか、少し小さい延宝房総沖タイプなのかで、津波の数値が違う。福島沖などに日本海溝の南側では、延宝房総沖タイプが起きるという考え方に対する支持は、当時からアンケート結果などで大きかった。延宝房総沖を想定していても、今回の事故は防ぎ得たと言っていいかどうか、民事では迷いがありうるところかなと思う。いろんな弁護団でいろんな主張している。ここは、延宝房総沖で東京電力はやろうとしていて、対策としては止めなければならなかったという話もあり、延宝房総沖でも事故は防げたという話になっている。

その詳細なシミュレーションは公にはされていないが、これから法廷で調べられる証拠の中には、そのシミュレーションも出てくるのではないかと思う。

平成20年7月以降の検討についても、冒頭陳述にありました。その中で、特にポイントになるのは、津波対策ワーキングが平成22年の8月から平成23年2月まで4回実施されていて、その中で津波対策について話し合いが行われている。現場レベルでは長期評価取り入れるのはあたりまえだから、なんとかやらんといかんというのは決まっていた。政府事故調には「あたまの体操だけであって、これを前提に津波対策をしようとはしていませんでした」というような書き方がされているが、そんなわけないでしょう。頭の体操を社員にやらせたいなら脳トレでもやらせておけばいいじゃないですか。何で津波対策をやったのか、それは津波対策をするつもりだったからに決まっている。そんな当たり前の話の立証が、これからされていくと思われる。

政府事故調や国会事故調は、10m版の上に10mをがっちり検討したというのを1行も書いていない。おかしいと思いますし、一体何を調べていたんですか、と言いたい。これから証拠を見定めてからでないと言えない部分はあるが、これまでの事故調にも反省していただきたいところがあるのが、今日、よりいっそう明らかになりました。

 

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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