ファクトチェック

根拠の無い「合理的な判断」 武藤・元東電副社長の証言

福島第一原子力発電所の事故で東京電力が被った被害について当時の経営者たちの責任を問う株主代表訴訟(東京地裁)で5月27日、3回目の証人尋問が開かれた。この日は専門家への反対尋問と、被告の武藤栄・東電元副社長(70)への尋問があった(この記事では武藤氏の尋問について述べ、専門家については別記事でまとめる)

武藤氏が証言台に立つのは、刑事裁判での被告人質問(2018年10月)[1]以来だ。武藤氏は、社内の会議で東北地方の地図をホワイトボードに書きながら部下と津波予測についてやりとりした様子などを説明。そして15.7mの津波高さが予測されていた2008年7月の時点ですぐに対策に着手せず、土木学会に検討を委託した判断を「合理的だった」と何度も強調した。しかし同時期の他の電力会社と比べて劣る東電のやり方がなぜ「合理的」なのか、傍聴していてもわからなかった。

先送りは本当に「合理的」だったのか

東電は2008年3月には福島第一で高さ15.7mの津波予測を得ていた(敷地の高さは10m)。それを聞いた武藤氏は7月31日の社内会合で

1)すぐには対策に着手しない。
2)津波想定について土木学会に検討を依頼し、その結果にしたがって対策をする。
3)当初2009年6月までに提出する予定だった想定見直しの報告書(耐震バックチェック最終報告書)は、古い想定(2002年、5.7m)のまま提出する。その方針を専門家に説明して回る。

ように部下に指示した。

武藤氏は「振り返ってみても、あれ以外のやり方は取りにくかった。合理的な判断だった」と強く主張した。これらの指示は、武藤氏の言うように「合理的」なのか検討したい。

 

1)すぐ対策始めた東海第

東電が先送りしたのは、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が2002年7月に発表した津波地震への対策だった。東電が先送りを決めた直後、同じ津波への対策に着手した原発があった。日本原子力発電(日本原電)の東海第二だ。2002年8月5日に、日本原電は常務会で津波対策を始めることを決めた 。東電の先送りを聞いた日本原電取締役は「こんな先延ばしでいいのか、《東電は》なんでこんな判断するんだ」と述べていた[2]

日本原電は、敷地の一部嵩上げ、建屋の水密化、非常用発電機の高所設置など多様な対策を2011年3月の地震前に終わらせ、東日本大震災の対応に威力を発揮している。

 

2)他の原発は土木学会の想定に上乗せして波源を決めていた

武藤氏は、土木学会に依頼した理由を「我々に限らず、日本中の原子力事業者全てが土木学会の手法に則って対津波設計をしてきた」と説明した。しかし事実は異なる。2008年当時、東電以外の原発は、最新の研究成果を反映し、土木学会の想定よりさらに厳しい津波を独自に上乗せして想定や対策を進めていた。

東北電力は、女川原発の耐震バックチェック報告書(2008年11月)で、貞観津波(869年)の再来を想定していた[3]。これは土木学会の想定には含まれていない。

中部電力浜岡原発では、南海トラフで二つの別々の地震が時間差を置いて発生した時に、津波が重なりあって高くなる現象まで想定して、安全を確認していた(2008年12月、原子力安全基盤機構によるクロスチェック)。これも土木学会では考えていない。

前述したように日本原電も、土木学会の想定には含まれていない津波地震を想定して対策を進めていた。

「土木学会が想定していないから、根拠がない」「新しい津波を取り入れるかどうか、土木学会に検討してもらった後で」という武藤氏の考え方を、東電以外は選択していないのだ。

3)最新知見の反映、先延ばしして良いのか

武藤氏は土木学会の委託結果が出るまでに「1、2年というイメージだった」と証言した。しかし、実際には検討が始まるまでに1年、土木学会の委員会審議が3年で、計4年かかることが、これまでの土木学会への委託事例から予想されていた。

土木学会に検討してもらえと武藤氏の指示を受けた部下は、「感覚的には時間稼ぎをしたと受け止めていたのではないか」と刑事裁判の尋問で問われ、「まあ、そうかも知れないですね」と答えている[4]

地震や津波の想定見直し(耐震バックチェック)は保安院の指示で2006年9月に始まった。保安院や原子力安全委員会は、3年以内に最終報告を提出するよう強く要請していた。最新の科学技術水準に照らし合わせて安全性を確保していないと、設置許可は違法とされる可能性を最高裁が指摘していたからだ。
バックチェックは、電力会社が津波を想定し、それが妥当かどうか、保安院の審議会が公開の場でチェックする。ところが武藤氏は、津波想定だけ切り離して本来の締め切りより3年後の2012年までかけて土木学会で非公開審議し、保安院の審議会は回避する形にしようとしていた。それが「土木学会で検討」の実態だ(図)。

その武藤氏の方針が、保安院で審議する委員や保安院には認められない可能性があった。「武藤副本部長《武藤氏は当時、原子力・立地本部副本部長》は、その可能性を排除するために、東電の方針については、有力な学者に説明して、その了解を得ることと言って、いわゆる根回しを指示しました」と部下は検察に供述している[5]

専門家に根回しして規制を骨抜きにする手口を、武藤氏は、放射線防護の分野でも使っていたことが明らかにされている[6]。電力業界の常套手段なのだろう。

担当部署の認識と矛盾する武藤氏の説明

武藤氏は、地震本部の予測について「根拠はよくわからないと部下から聞いた」「裏付ける新しい知見はないと聞いた」と繰り返した。また、明治三陸地震の波源モデルを南側にずらして、福島沖で同様の地震が発生した場合の波高を計算する手法について「信頼性がないんですと部下から聞いた」とも主張した。

しかし、武藤氏に津波予測について伝えた土木調査グループのメンバーは、武藤氏が強調するほど「根拠がない」「信頼性のない」予測だとは考えていなかったことが、当時の会議録やメールなどからわかる。武藤氏に「信頼性がない」とまで強く否定的に伝えていたかは疑わしい。

土木調査グループは、「地震本部を否定することは決定的な証拠がない限り不可能と判断する」と考えていた[7]。地震本部の予測には根拠が不十分な点もあったが、それよりも、土木学会が「福島沖には津波地震は起きない」と断定する根拠の方が弱かったからだ。土木調査グループのメンバーは、先送りが決まった直後でさえ、「津波対策は不可避」と福島第一原発の所長らには伝えていた[8]

また過去の地震の場所をずらして、その影響を予測することも、原発の耐震設計では当たり前のように行われている手法だった。東電も、2008年3月の耐震バックチェック中間報告では、昭和三陸地震を福島沖にずらしてその揺れを計算し、福島第一に影響があるかどうか調べて保安院に報告している[9]。同じように明治三陸地震を福島沖にずらしたやり方について武藤氏が「信頼性がない」と断じる理由は不明だ。

証言全体を通して、武藤氏は先送り決定の責任を、部下に押し付けようとしているように感じられた。

(引用文中の《》は筆者による補足)

 

 

[1] 東電刑事裁判第30回公判(2018年10月16日)傍聴記

第30回公判傍聴記


第31回公判(10月17日)傍聴記

第31回公判傍聴記

[2] 第23回公判(2018年7月27日)傍聴記

第23回公判傍聴記

[3] 検察調書が明らかにした新事実

検察調書が明らかにした新事実

[4] 第8回公判(2018年4月24日)傍聴記

第8回公判傍聴記

 

[5] 東電株主代表訴訟 甲350号証 山下和彦氏の供述調書

[6] 国会事故調 5.2.3 最新の知見等の取り扱いを巡る議論
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/blog/reports/main-report/reserved/5th-1/#toc-1icrp

[7] 2008年3月5日津波バックチェックに関する打合せ(東北電力作成)

[8] 2008年9月10日耐震バックチェック説明会(福島第一)

[9] https://www.tepco.co.jp/cc/press/09061901-j.html

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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