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想定外津波の対策「2008年度中」の期限が消される

(国の責任を考える その4)

小野は2007年4月4日、再度、電力会社に、具体的な対策を検討してくるよう指示した。しかし、6月3日付けで、小野は審査班長から、経産省製品安全課に異動になった。後任の武山松次に残した引き継ぎメモ(写真1)[1]に、福島第一を名指しで、こう書いた。

写真1 原子力規制委員会の開示文書

 

津波高さ評価に対し設備の余裕がほとんどないプラント(福島第一、東海第二など)も多く、仮に津波高さが評価値を超える場合には、非常用海水ポンプ等が使用不能となることから、一定の裕度を確保するように議論してきたが、電力のみならずJNES[2]においても前向きな対応がなく、土木学会評価手法の保守性や津波ハザード解析の試行などを行うだけで、具体の対応についての議論がほとんどできなかった
(中略)
○月までに電事連大《電気事業連合会全体、原発を持つ全電力会社で、の意味》で検討結果を説明するように指示しましたが、いまだ音沙汰なしです。《◯が何月かは不明》

 

その2年後の2009年2月18日の第105回安全情報検討会までは、資料に「津波影響評価の確認(平成20年度中)」と書かれていた。ところが第106回(2009年3月4日)以降は期限が消され、「津波影響評価状況を注視していく」という表現に変わる(写真2)[3]。そして福島第一で大事故が起きるまで保安院は何もしなかった。

写真2 原子力規制委員会の開示文書

まとめると、ここまでで保安院は重大な失敗を二つ重ねた。一つ目は、この連載1回目で述べたように、2002年8月、政府の地震調査研究推進本部が予測した津波地震を、福島沖で東電に計算させることができなかったことだ。これは、エレベーターの例えでいえば、定員の想定が現状の10人でいいのか、確かめる作業に相当する。

そして二つ目は、2007年、想定外津波の対策(津波AM《アクシデントマネジメント》)を実施させることができなかったことだ。これは定員10人のエレベーターに11人以上乗り込んできても、急に落下しないようにする対策である。

保安院は、福島第一がもっとも余裕がないと知っており、「早急な対策を打つべき」「そうでないと不作為を問われる」と考えていたにもかかわらず、東電の抵抗・サボタージュを覆せず、事故を防げなかったことがわかる。

もう1通の供述調書

これまで見てきた小野の調書は2012年10月16日付のもの。東電元幹部や保安院長らに対する、業務上過失致死傷などの容疑による告訴・告発が東京地検に受理されてから3か月後に供述したものだ。

小野の調書は、もう1通ある(写真3)[4]。こちらは最初の調書から2年後の2014年12月16日に聴取されている。

写真3 原子力規制委員会の開示文書

最初の調書では、これまで見てきたように、福島第一が津波に対して国内で最も脆弱であることに気づいて、対策が必要だと何度も東電に伝えながら、実施させることができなかった経緯について小野が悔しさをにじませながら述べている。

一方、2通目では、小野は保安院に責任が無いことを前面に出している。

この2通目の調書は、東京地検が東電元幹部らを不起訴と決定し(2013年9月)、それに対して東京第五検察審査会が「起訴相当」(起訴すべきだ)と議決(2014年7月)した後にまとめられている。そしてこの2通目の調書がとられたあと、東京地検は再び不起訴を発表する(2015年1月)。

1通目の調書以降、国の責任を追及する民事訴訟も全国各地で増えていた。それに対して国側は「保安院の対応に問題は無かった」と主張していた。小野の2通目の調書は、それに沿ったものになっている。小野は、保安院から原子力規制委員会に移り、今も国家公務員である。その立場が供述の内容に影響した可能性を考えなければならないだろう。

2通目で興味深い点が一つある。津波対策は、①そもそも想定している津波高さ(設計基準)は妥当か②想定を超えても最悪の事態を引き起こさないような余裕、対策は取られているか(津波AM)、の二つの視点から検討する必要があった。ところが保安院は2006年から2007年にかけて、①について原発ごとにきちんと検証しないまま、②を進めようとしたため、東電などの抵抗をくずせなかったことが読み取れる。

保安院としては、①を見直すと大規模な対策工事を電力会社に強いることになるため、電力会社から強い反発があると恐れていたのだろう。そのため、電力会社が自主的に、比較的安価な②を進めることを促したのだが、その弱腰が見透かされ、結局、保安院は①②とも実現することができなかったのだ。

保安院の川原は、このような供述もしている[5]

「平成16年《2004年》頃行った、島根原子力発電所3号機の設置許可申請の際の非公開の意見聴取会の場だったと記憶しているのですが、最終的に設置許可は下りたものの、その審査の過程で、委員の一人で津波の権威である首藤伸夫先生《東北大名誉教授、土木学会津波評価部会主査》が、津波評価に関し『土木学会でOKだから、これでいいんだってのじゃなくて、自然現象なんだから、じゅうぶんな余裕が必要ですよ』などと指摘されたことが、とても印象に残っていました。ですから、私を始め、保安院の耐震担当の人間は、津波評価に関しては、その不確実性に照らして、非常用海水ポンプなどの設備との間に余裕が少ない場合には、土木学会手法による想定を超える津波に関しても、ハード面を含めた対策を講じておいた方がいいのではないかという問題意識をかねてから持っていたのでした」

そういう「問題意識」を事故7年前から持っていたのに、保安院は何も出来なかったのである。

数多い、いまだわかっていないこと

2006年前後の保安院の動きにも、まだ解明されていないことは多い。

1)詳細な議事メモや供述が公開されているのは、実務担当者レベルのものばかりだ。当時、実際に意思決定する保安院や東電幹部たちの様子がわからない。

例えば、2005年12月14日に開かれた保安院、東電、JNESの会合議事録に、JNESからのコメントとしてこんな記述がある(写真4)[6]

写真4 原子力規制委員会の開示文書

想定外津波については上層部(NISA《保安院》〜電力の管理部長、NISA〜JNES)でも話題となっているが、現状は回答が。これに回答できるようにして欲しい

ここで言及されている保安院上層部と電力管理部長との会合の実態が、全く表にでてきていない。保安院審議官や担当課長と東電の武藤栄・原子力・立地本部副本部長、吉田昌郎・原子力設備管理部長らが2010年ごろに週に一度ほど開いていたことがわかっている「朝会(あさかい)」(これも実態はよくわからない)[7]と関連があるのかも知れない。

また、2006年1月18日に開かれた第43回安全情報検討会で、溢水勉強会の立ち上げが報告された時に、保安院の平岡英治・首席統括安全審査官は「とにかく検討に着手したことは画期的。今後、着実に実施し、適宜報告されたし」とコメントしていた(写真5)[8]。だが、2008年度中とされていた津波影響評価は立ち消えとなる。それを平岡はどう考えていたのだろうか。平岡は、事故発生当時の保安院次長である。

写真5 原子力規制委員会の開示文書

2)国会対応という点からも不明なことがある。2005年12月22日に、JNESと東電、電事連が開いた溢水勉強会準備会合の議事録に、想定外津波を検討する背景として、「NISA《保安院》の懸念は、国会で想定外津波の質問があった場合に回答できないこと」と書かれている(写真6)[9]

写真6 原子力規制委員会の開示文書

吉井英勝・衆院議員(当時)は、2006年3月1日に衆院予算委員会第7分科会で、2004年のスマトラ沖地震で、インドの原発が想定外の津波に襲われたことをもとに津波対策について問いただした。

このとき、広瀬研吉・保安院長は、土木学会手法で津波の水位を調べており、原子炉を冷却できる対策が講じられていると答弁しているが、実際には首藤・東北大名誉教授から「土木学会でOKだから、これでいいんだってのじゃなくて、自然現象なんだから、じゅうぶんな余裕が必要ですよ」とも指摘され、全原発の津波影響評価を2008年度中に進めようとしていた最中だった。また、全電源喪失の危険性を質問した吉井議員に対し、2006年12月には、安倍晋三首相(当時)が、「地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、(中略)ご指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである」と答弁書を返していた。実際には、小野は電力会社と激しく議論し、対策が進まないことを嘆いていたころだ。とても「万全」とは言えない状態にもかかわらず、どんな意思決定のプロセスでこの答弁書は作成されたのだろうか。

3)溢水勉強会について、政府事故調は資料を集めていたことはわかっている[10]が、報告書には全く記述していない。政府の責任に関わる事実を切り捨てる判断は、いつ、誰がしたのだろうか。

小野は現在、原子力規制庁の長官官房審議官を務めている。当時の事情を知っていて、そのうえ今の規制当局の幹部でもある小野ならば、これらの不明点をいくらでも調査できるはずだ。逆に何もしないで臭いものに蓋をする状態を続けるならば、それは原子力規制委員会として福島原発事故の真実を隠蔽する行いであり、信頼を失う行為だと言えるだろう。

(続く)(敬称略、《》は筆者注、太字は筆者による)

 

[1] 東京地検 小野祐二 供述調書 2012年10月16日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲B第35号証)の資料10(PDFのp.64)

https://database.level7online.jp/items/show/59

[2] 独立行政法人原子力安全基盤機構 原発の検査や、安全性の解析・評価、原子力のトラブルなどにかかわる情報の収集や整理をする。2014年3月に原子力規制庁に統合された。
https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_13-02-01-34.html

[3] 上は「対応安全情報」進捗状況一覧表 第105回安全情報検討会資料(2)

下は「対応安全情報」進捗状況一覧表 第106回安全情報検討会資料(2)
https://database.level7online.jp/items/show/24
この開示文書PDFファイルp.215(第105回)、p.220(第106回)
https://database.level7online.jp/files/original/16bfac4e2cc9cc685ca75f06a58b81eb.pdf

[4] 東京地検 小野祐二 供述調書 2014年12月16日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲C第10号証)
https://database.level7online.jp/items/show/60

[5] 東京地検 川原修司 供述調書 2012年11月5日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲C第192号証)p.7
https://database.level7online.jp/items/show/62

[6] 東京地検 長澤和幸(東電社員) 供述調書 2012年10月29日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲B第31号証の1)近日レベル7で公開 PDFのp.35

[7] 川原の後任である小林勝・保安院耐震安全審査室長から政府事故調が聴取した記録のp.2に、「朝会」についての記述がある。

https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/110.pdf

[8] 溢水勉強会の議事メモ、会議資料
https://database.level7online.jp/items/show/7
https://database.level7online.jp/files/original/6d0e946ef22459c1c93bdd6ad6b43408.pdf
(これのp.52)

[9] 東京地検 長澤和幸(東電社員) 供述調書 2012年10月29日 原子力規制委員会による開示2022年3月3日(原規法発第2203031号 甲B第31号証の1) 資料2  PDFのp.36 近日レベル7で公開

[10] 政府事故調が収集した文書のリスト
https://database.level7online.jp/items/show/6
https://database.level7online.jp/files/original/6250bc7b9fc71165b1b27f5c543e0cc4.pdf
(これのp.14)

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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