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東電に簡単に押し切られた保安院

(国の責任を考える その6)

2005年以降、貞観津波の研究が進んだ。東電はそれを検討する必要性に気づいていながら表面化しないように他の電力会社の報告書に圧力をかけたり、研究者に根回ししたりといった裏工作を続けていた。ところが2009年6月に原子力安全・保安院の公開の審議会で、東電の根回しから漏れていた研究者がその最新研究状況を明らかにした。津波対策に乗り出す好機だ。しかし保安院は、東電に貞観津波の対応策をとらせるどころか、隠蔽、対応先延ばしの方向で押し切られてしまう。

2009年6月24日 貞観津波の実態が明らかになる

東京・霞が関にある経済産業省の別館会議室で2009年6月24日に開かれた会議[1]で、東電が隠そうとしていた貞観津波の脅威が、専門家から指摘されてしまった。

《東電の想定とは》全く比べ物にならない非常にでかいもの《津波》がきているということは、もうわかっている

震源域としては、仙台の方だけではなくて、南までかなり来ていることを想定する必要はあるだろう。そういう情報はあると思うんですよね。そのことについて全く触れられていないのは、どうも私は納得できないんです

このように、何度も強い口調で東電が貞観地震を想定していない問題をとりあげたのは岡村行信だ。当時、産業技術総合研究所(産総研)活断層・地震研究センターのセンター長を務めていた[2]

注目したいのは、この会合の進行役をしていた川原修司・保安院耐震安全審査室長である。

川原は、2002年6月から保安院原子力発電安全審査課の安全審査官(耐震班長)、2006年4月に同課内に新設された耐震安全審査室の初代室長になり、2009年6月30日まで務めた。

この任期中に、川原は、福島第一原発の津波に関わる重大なリスクを知る機会に、すべて立ち会っていた。

最初は2002年8月5日。地震調査研究推進本部が予測する津波地震を、川原は東電に計算させようとしたが、40分抵抗されて結局あきらめてしまった出来事だ(当連載第1回参照[3]

このとき、計算させていれば敷地高さ(10m)を超える15.7mの津波が予測できていた。

2回目は、2006年10月6日。川原は、原発を持つ全電力会社の担当者を集めた一括ヒアリングの場で、以下のように述べていた[4]

「津波(高波)について、津波高さと敷地高さが数10cmとあまり変わらないサイトがある。評価上OKであるが、自然現象であり、設計想定を超える津波がくる恐れがある。想定を上回る場合、非常用海水ポンプが機能喪失し、そのまま炉心損傷になるため安全余裕がない」

原子力発電安全審査課審査班の小野修司審査班長は、2006年時点で、「(津波に)特に余裕の少ない福島第一原子力発電所に対しては、早急に対策を打たせるべきだ」(当連載第2回参照)と考えており、そのことは川原にも伝えられていた。

3回目が、貞観津波についての岡本の指摘だ。

まとめてみると、川原は、2002年の段階で、福島第一に大津波が襲来する予測が政府機関から出されていたことを知っており、2006年時点で、津波が敷地を超えるとすぐに炉心損傷を引き起こすという脆弱性と対策を急がねばならない状況も知らされており、2009年には、理論的予測だけでなく、過去に実際にそのような大津波が起きていたことも知っていたことがわかる。

起きうる津波の大きさ、そしてそれがどんな事故を引き起こすのか、ハザードと脆弱性の両方を知っていたのだ。しかし、川原は何もしなかった。

川原はこの会議の6日後に耐震安全室長から異動となったが、後任者にこの問題を引き継いだ形跡もない。

2009年8月 東電、保安院に説明

この当時、耐震安全審査室で、福島第一を担当していたのは名倉だった(図1)[5]

(図1)耐震室の業務分担のサムネイル
(図1)耐震室の業務分担

貞観津波について会議で問題になったことから、原子力発電安全審査課の森山善範課長と、小林勝・耐震安全審査室長は、貞観津波についての東電の方針を確認するよう名倉に指示した[6]。小林は川原の後任で、6月30日付けで着任している。

8月5日、名倉は、東電土木調査グループの高尾誠に「貞観津波に関する検討状況を説明してほしい」と依頼した[7](図2)[8]

(図2)貞観津波に関する部長説明資料のサムネイル
(図2)貞観津波に関する部長説明資料

8月28日午後1時半から、東電の高尾、上司の酒井俊朗、部下の金戸俊道の3人が、保安院の名倉に面会して説明した。

このときに東電側が作成したメモ(図3)によれば、東電側は
・東電で独自に津波堆積物調査をする
・貞観津波の波源は、土木学会で決める
・土木学会の決定は、バックチェック最終締め切りには間に合わない。そのあとで、土木学会が決めた波源に従って対策する
という趣旨の説明をした。

(図3)2009年8月28日の会合メモのサムネイル
(図3)2009年8月28日の会合メモ

名倉はこれに対し、「個人的には、そういう扱い(バックチェックは確立された土木学会ベースでよい、貞観の扱いは、研究の進展で「余裕の確保」との観点で自主保安で対策を実施)になると思う」とコメントし、貞観津波の試算結果を次回会合で、小林室長も同席の場で伝えるように宿題を出した。

2009年9月7日 8.7m超えの数値明らかに

9月7日午後5時から、保安院の小林、名倉、東電の酒井、高尾、金戸が参加してヒアリングが開かれた(図4)[9]。東電からは、津波堆積物の分布から貞観津波を計算すると4号機で8.7mの水位が想定されるという数値が示された(図5)。

(図4)9月7日ヒアリングメモのサムネイル
(図4)9月7日ヒアリングメモ

 

(図5)貞観津波の想定高さのサムネイル
(図5)貞観津波の想定高さ

津波堆積物の分布は実際の浸水範囲より狭いため津波が過小評価になることや、繰り返す地震では規模がばらつくことを考慮すると、敷地高さ10mを超える津波を想定しなければならないことは、この時点で明らかだった。

この日の会合は、東電福島事故を防げたかどうか、その分水嶺となるとても重要な位置付けとなるものだったようだ。小林の「嘘」がそれを示している。

小林は、政府事故調の聴取(2011年9月2日)[10]では、この9月7日の会合には欠席したと述べていた。

ところが、東京地検の事情聴取(2012年10月24日)で、「それは嘘でした。実際は、9月7日のヒアリングに、部下であった審査官の名倉繁樹とともに、最初から最後まで出席していました」と告白した[11]

嘘をついた理由を、こう説明している。

 

 このヒアリングにおいては、東京電力関係者から、福島第一原子力発電所における貞観津波に基づく想定波高の試算結果について報告がありました。
その試算結果は、それまで想定されていた波高よりも高いものであり、津波への対応策として、その試算結果を踏まえた新たな対応策を講じる必要が生じるようなものでした。

 しかしながら、保安院においては、このような試算結果についての報告を受けたにもかかわらず、その後東京電力に対し具体的な対応策をとるよう指示したことはありませんでした。

 (中略)このような経緯があったため、私としては、この試算結果について自ら東京電力から報告を受けておきながらその後保安院として具体的な対応策を指示しなかったとして、私自身が責任を問われるのではないかと思ったのでした。

 当時、私は、保安院の原子力発電安全審査課耐震安全審査室長という管理職の立場にあり、そんな自分が東京電力から試算結果について直接報告を受けたにもかかわらず、その後保安院として具体的な対応策を指示しなかった以上、私の責任が追及されると考えたのでした。

 

判断から逃げた保安院

9月7日の会合で、東電は「貞観津波の対策は、バックチェック最終報告とは切り離して別に検討したい」という方針も保安院に説明した。

バックチェック最終報告は、さまざまな分野の専門家が、公開の場で内容を審議する。その場で、従来の想定(5.7m)を大きく超える、最低でも8.7mの貞観津波予測がどんなリスクをもたらすか、明らかにされてしまうことを恐れたのだろう。

福島第一は、国内の原発でもっとも津波対策で余裕がなく、そして津波が敷地を超えるとすぐに炉心溶融になる(当連載第2回)ことを、保安院や電力会社はすでに知っていた。その情報(脆弱性)と、貞観津波の予測が揃って公開されてしまうと、地域住民へのリスクは明白になり、対応を迫られることになるからだ。

それを避けるため、東電は、貞観津波の問題を、福島第一の対策側の脆弱さとは切り離し、津波計算の専門家だけが集まった土木学会で、公開せず、そして自分たちが事務局として議論の方向性をコントロールできる条件下で、検討しようとした。それはバックチェックのルールから大きく逸脱するものだった。

しかしそんなルール違反を、小林は認めてしまう。「貞観津波対策をバックチェック最終報告とは切り離して検討する」という東電の説明を聞いた小林は「そんなことが実際にできるのだろうかと疑問に思いました」と検察に供述している。規制当局として、そんなことをさせてはいけないのが、小林の仕事なのに、他人事のような無責任なコメントである。

「あなたはなぜ、(東電の)酒井らに対し意見を言わなかったのか」という検事の問いには、小林は「恥ずかしながら、当時は私自身、異動からそれほど時間が経っていないこともあり、勉強不足のため東京電力側を説得できる自信がありませんでした」と述べている。

また、この日の会合について、名倉は「面識のない東電の出席者が『炉を止めることができるんですか』と私に言ったので、なんでこんなことを言われなければならないのかと思った記憶がある」と政府事故調の聴取[12]に答えている[13]

強面の東電に、保安院はあっけなく敗れたようだ。

(続く)(敬称略、《》は筆者注、太字は筆者による)

[1] 総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地震・地盤合同WG(第32回)議事録 2009年6月24日
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1368617/www.nisa.meti.go.jp/shingikai/107/3/032/gijiroku32.pdf

[2] 岡村の専門は地質学で、東電が地震や津波の専門家にしていた根回しから漏れていた。
https://level7online.jp/2021/20211209/

[3] Level7 「2002年8月 国と東電、福島沖の『津波地震予測』を葬る」(国の責任を考える その1)2022年5月7日 https://level7online.jp/2022/20220507/

[4] Level7 「『電力事業者はコストをかけることを本当にいやがっている』小野班長の嘆き」(国の責任を考える その3)2022年5月25日 https://level7online.jp/2022/20220525/

 

[5] 内閣府の開示資料(政府事故調が収集した文書)府政原防第185-3号 開示文書のp.3 耐震室の主な業務の分担
https://database.level7online.jp/items/show/38

 

[6] 横浜地裁 福島原発かながわ訴訟 第21回口頭弁論 2017年4月25日 名倉繁樹の証言 証人調書p.17

 

[7] 東京地裁 東電刑事裁判 第6回公判 高尾誠の証言 証人尋問調書(2018年4月11日) 原子力規制委員会の開示文書 p.35
https://database.level7online.jp/items/show/71

[8] 東京地裁 東電刑事裁判 東電高尾誠に示す証拠一覧  資料165 原子力規制委員会の開示文書 p.270
https://database.level7online.jp/items/show/63

 

[9] 東京地裁 東電刑事裁判 東電高尾誠に示す証拠一覧  資料168 原子力規制委員会の開示文書 p.273
https://database.level7online.jp/items/show/63

 

[10] 政府事故調 小林勝の聴取結果書 2011年9月30日
https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/150.pdf

[11] 東京地検 小林勝の供述調書(2012年10月24日) 原子力規制委員会の開示文書
https://database.level7online.jp/items/show/64

 

[12] 政府事故調 名倉繁樹の聴取結果書 2011年8月31日

https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/133_1.pdf

 

[13] 名倉は、政府事故調の聴取から6年後の横浜地裁の尋問では、このように言われたのはこの日なのか、別の日なのか、よくわからないと証言している。

横浜地裁 福島原発かながわ訴訟 第21回口頭弁論 2017年4月25日 名倉繁樹の証言 証人調書p.67

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添田孝史

1990年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)他。

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