「最短潜伏期間」が過ぎた胃がんで「有意な多発」
米国のCDC(疾病管理予防センター)では、2001年9月の世界貿易センター事件(同時多発テロ事件)を受け、がんの最短潜伏期間に関するレポート『Minimum Latency & Types or Categories of Cancer』(改訂: 2015年1月6日。以下「CDCレポート」)を公表している。これに掲載されている「がんの種類別最短潜伏期間」を短い順に示すと、
【白血病、悪性リンパ腫】0・4年(146日)
【小児がん(小児甲状腺がんを含む)】1年
【大人の甲状腺がん】2・5年
【肺がんを含むすべての固形がん】4年
【中皮腫】11年
となっている【表1】。
ただし、CDCレポートで検証したのは、世界貿易センターの崩落で発生した発がん性物質に暴露した人たちのがん罹患状況であり、福島第一原発事故で放射能に暴露した福島県民とは事情が異なる。この点は留意しておく必要がある。
昨年10月5日に本サイトに掲載した拙稿「『全国がん登録』最新データ公表 福島県で胃がんは3年連続で『有意に多発』していた」(https://level7online.jp/?p=1744)で報告したとおり、2012年から2014年の3年にわたり、福島県で「統計的に有意な多発」が確認されているがんは、胃がんである。CDCレポートに従えば、その最短潜伏期間は「4年」ということになる。
このCDCレポートに基づいて考える限り、2012年からの3年間の「多発」は、最短潜伏期間よりも早い時期に該当するため、福島第一原発事故が原因と考えるのは難しい、ということになる。
それだけに筆者は、CDCレポートが言う最短潜伏期間を経過した2015年の「全国がん登録」(全国がん罹患モニタリング集計)データに着目していた。同データが国立がん研究センターのホームページで公開されたのは、今年4月24日(水)のことである。
2008年から2015年までの「全国胃がん年齢階級別罹患率」と福島県の同罹患率を比較してみたのが【表2】である。男女ともにさまざまな年齢層で、全国平均を上回っている年齢階級が散見される。
そこで、全国と同じ割合で福島県でも胃がんが発生していると仮定して、実際の罹患数と比較してみる検証を行なった。疫学(えきがく)の手法で「標準化罹患率比」(略称SIR、standardized incidence ratio【注】)を計算する方法だ。全国平均を100として、それより高ければ全国平均以上、低ければ全国平均以下を意味する。
【注】標準化罹患率比の英訳は「standardized incidence rate」ともいう。近年、厚労省や国立がん研究センターでは「~ratio」としているが、いずれの場合も略称は「SIR」である。
福島県の胃がんについて、2008年から2015年までのSIRを計算してみた結果は、次のとおり。
【胃がん】福島県罹患数 SIR
2008年男 1279 88・3
2009年男 1366 94・1
2010年男 1500 101・1
2011年男 1391 92・2
2012年男 1672 110・6
2013年男 1659 110・9
2014年男 1711 119・3
2015年男 1654 116・6
2008年女 602 86・6
2009年女 640 94・2
2010年女 700 100・9
2011年女 736 100・9
2012年女 774 109・2
2013年女 767 109・9
2014年女 729 109・0
2015年女 769 120・3
国立がん研究センターでは、SIRが110を超えると「がん発症率が高い県」と捉えている。2011年を境に、男女とも全国平均を超え始め、2015年の女性では120を上回ってしまった。
次に、このSIRの「95%信頼区間」を求めてみた。これは、疫学における検証作業のひとつであり、それぞれのSIRの上限(正確には「推定値の上限」)と下限(同「推定値の下限」)を計算し、下限が100を超えていれば、単に増加しているだけではなく、確率的に偶然とは考えにくい「統計的に有意な多発」であることを意味する。
その結果は【表3】のとおり。福島県においては、2015年でも胃がんが男女ともに「有意な多発」状態にあることが判明した。
4年間の最短潜伏期間が過ぎた胃がんで「有意な多発」が確認されたことが意味するのは、福島県の胃がん患者たちの一部はその4年前、同じ原因に曝(さら)されて胃がんを発症した恐れもある――ということである。そしてCDCレポートは、その「同じ原因」が何かを探るための目安(物差し)として使うべきものなのだろう。
とはいえ宿題も多い。CDCレポートでは、2012年の段階ですでに男女ともに多発が確認されていることの説明がつかない。さらに言えば、2015年に女性の胃がん罹患率が急激に上昇していることも、気になるところである。
甲状腺がんは2015年の女性で「有意な多発」
続いて甲状腺がんを検証する。CDCレポートに従えば、その最短潜伏期間は大人で「2・5年」、子どもで「1年」だ。
甲状腺がんの年齢階級別罹患率と、それから弾き出した年齢階級別罹患数の概数を【表4、5】として示す。若年層における多発が懸念されている甲状腺がんだが、20歳以上50歳以下の女性たちでも著しい増加が見られる。
【表5】「甲状腺がん」年齢階級別罹患数(概数)福島第一原発事故後、福島県は県内全ての子ども約38万人を対象に、甲状腺の検診を実施している。若年層での甲状腺がんの増加は、症状が何も出ていない人にまで範囲を広げて甲状腺検診を行なうことによって、がんの発見率が高まる「スクリーニング効果」によるものだと、これまで専門家らによって説明されてきた。
しかし、甲状腺検診の対象外である20歳以上の年齢階級でも甲状腺がんが増加していることは、「スクリーニング効果」で説明することはできない。その患者たちは、「スクリーニング」によって甲状腺がんが見つかったわけではないからだ。「スクリーニング効果」説以外の原因を早急に特定する必要がある。
甲状腺がんのSIRとその「95%信頼区間」を求めた結果が【表6】だ。
2014年の男性で「有意な多発」状態に至っていたことは、前掲の拙稿「福島県で増え続けるがん患者」で報告した。2015年では、男性の「有意な多発」状態が解消される一方、女性で「有意な多発」状態にあることが判明した。
2014年の時点で甲状腺がんの最短潜伏期間「2・5年」は経過している。女性においては、甲状腺がんのSIRが年々上昇し、2015年にとうとう「有意な多発」状態に至っているのが大変気になるところだ。
悪性リンパ腫と白血病は「小康状態」
次に「悪性リンパ腫」と「白血病」を検証する。CDCレポートに従えば、その最短潜伏期間は「0・4年」(146日)である。
2008年から2015年までの「全国悪性リンパ腫年齢階級別罹患率」と福島県の同罹患率を比較してみたのが【表7】であり、同期間のSIRを計算してみた結果が【表8】である。SIRが105を超えている2013年男性と2012年女性の「95%信頼区間」を求めたところ、下限はともに100を超えていないため「有意な多発」とは言えなかった。
同様に白血病に関しても、年齢階級別罹患率とSIRを示す【表9、10】。
白血病の罹患数は2011年以降、男女ともに右肩上がりで増えていたが、2014年になって減少に転じている。SIRも、2013年の男性で100を超えたことがあったものの、その後は男女とも100を超えていない。
以上のように、悪性リンパ腫と白血病は増加が収まり、小康状態だった。
最短潜伏期間が過ぎた胆のう・胆管がんでも「有意な多発」
前掲の拙稿「福島県で胃がんは3年連続で『有意に多発』していた」で取り上げた前立腺がん、胆のう・胆管がん、卵巣がんについても検証した。CDCレポートに従えば、これらはいずれも「固形がん」に分類されるもので、最短潜伏期間は「4年」である。
前立腺がんは、2012年の男性で「有意な多発」をしている。翌2013年に減少に転じ、多発状態はいったん解消されたものの、2014年以降は再び罹患数が増え始めており、今後の推移を注意深く見守る必要がある(【表11、12】)。
胆のう・胆管がんは、2010年、2013年、2014年の男性と、2009年、2014年、2015年の女性で「有意な多発」をしていることが確認された(【表13、14】)。このがんは、原発事故のあった2011年以前にも福島県で「有意な多発」をしていた年があるのが特徴だ。近年はSIRが110を超え続け、2014年には男女揃って「有意な多発」をしている。女性は、最短潜伏期間を経過した2015年も「有意な多発」状態であることが確認された。福島県においては特に注意を払う必要があるがん、と言える。
卵巣がんは、2013年、2014年の女性で「有意な多発」をしている(【表15、16】)。2015年は減少に転じ、SIRも100を下回った。罹患数の上昇も収まっている。
1万人の福島県民の「苦労と困難」
CDCレポートが言う最短潜伏期間を経過した後に「有意な多発」が確認されたのは、
・胃がん(2015年の男女)
・甲状腺がん(2014年の男性、2015年の女性)
・胆のう・胆管がん(2015年の女性)
ということになった。
2015年の4年前に当たる2011年の福島県で起きた出来事は、東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故である。同原発事故では、多種多様な放射性物質をはじめとする発がん性物質が同原発から漏れ出し、環境をおびただしく汚染していた。
改めて言うまでもなく、福島第一原発が爆発し、環境中にばらまかれた発がん性物質は、放射性物質だけではあるまい。例えば、中皮腫の原因となるアスベストもきっと含まれていたことだろう。ただ、何がばらまかれたのかがきちんと把握されていないだけなのだ。東京電力の責任は重い。
*
昨年、本サイトで4回にわたって連載した「私も『胃がん』になりました」(第1回https://level7online.jp/?p=2044)で報告したとおり、筆者自身も胃がんに罹っていることが判明し、手術を受けている。早期で発見され、転移は見つからなかったものの、筆者も「がん登録」されることになったと、主治医から説明を受けた。
詳細は同連載に譲るが、がん治療によるダメージは、外科手術に伴う痛み等の肉体的なものや、治療費等の出費、そして精神的なものなど多方面に及んだ。
改めて前掲の【表3】を見ていただきたい。2012年の男性で1672人、2013年の男性で1659人、2014年の男性で1711人、2015年の男性で1654人と、4年間で6696人の福島県男性が新たな胃がん患者として「がん登録」されている。一方、女性は2012年に774人、2013年に767人、2014年に729人、2015年に769人と、4年間で3039人が新たな胃がん患者として「がん登録」されている。
つまり、2012年から2015年までの4年間だけで、男女合わせて9735人もの福島県民が、筆者と同等かそれ以上の苦労や困難を強いられているのである。その困難に思いを馳せたい。
今回、検証したのは、「最短潜伏期間」を超えたがんの罹患状況であり、次にやってくるのは「平均潜伏期間」の山である。
2016年のデータが国立がん研究センターから公表されるのは、例年どおりであれば来年3月か4月である。公表され次第、引き続き検証作業に取り掛かる予定だ。
「がん多発」と福島第一原発事故による被曝との因果関係の検証は確かに大事である。しかし、そのことだけにとらわれることなく、積極的な「胃がん対策」と「甲状腺がん対策」「胆のう・胆管がん対策」に乗り出す必要がある。